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4回金メダルの国枝慎吾が「障害受容」に至るまで 車いすテニスの前に打ち込んだスポーツの存在

東洋経済オンライン / 2024年8月11日 17時0分

2023年に現役を引退した国枝選手だが、2024年3月にはトーナメントディレクター兼選手としてマイアミオープンに出場(Photo by Al Bello/Getty Images)

グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多優勝を達成し、「車いすテニス界のレジェンド」と称される国枝慎吾さん。

その国枝さんが子供の頃に熱中したのは、テニスではなく、バスケットボールだった。テニスと出会うまでの国枝選手の幼少期を、初の自著『国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム』で詳しく紹介している。

テニス、そして人生の向き合い方を決定づけた国枝少年の体験とは? 本書から一部抜粋・編集して紹介する。

異変が起きたのは小学校4年の春休み

1984年2月21日、東京都で生まれた国枝は、物心がつかないうちに、両親が一戸建てを購入した柏市に引っ越した。

【写真】2023年に世界ランキング1位のまま引退した国枝慎吾さん

母、珠乃に聞くと、長男の慎吾は幼いころから、運動が大好きだった。しかも、かなり得意だった。

「車いす生活になるまでは、とにかく体育が大好きで。ほかのどの教科よりも、もっといえば給食よりも、一番の楽しみは体育だったんじゃないかな。マラソン大会とかは燃えていました。速かったし、まじめに走り込みもする努力家でした。私も大会は見に行きました。学年で3位とかだったと思いますけど、1位が取れずに悔しがっていました。短距離も速くてリレーの選手でした。運動会も見るのが楽しみでした」

異変が起きたのは1993年、小学校4年に上がるのを前にした春休みの日曜日だった。

地元の少年野球チームに入っていた国枝は、その日に初めて高学年と一緒の1軍の試合に出る予定だった。

朝起きると、腰に激痛が走った。前日、張り切って猛練習をしたせいかと思ったが、あまりの痛さに試合に行けなかった。

近所の接骨院で赤外線治療をすると、さらに痛みが増した。そこから近所の整形外科にも行って入院もしたが、理由がよくわからなかった。いったん退院したものの、痛みで横になれなくなった。仕方ないので机にうつ伏せで寝ることもあった。

ゴールデンウィークが明けて、大きな整形外科に行こうとした朝、足に力が入らなかった。母がおんぶして車に乗せて、外来の受付まで行った。

歩けないことを知ると、医師の顔色が変わった。小児科で診察を受けるように言われた。

おなかがパンパンに腫れて、尿も出なくなっていた。MRIを撮ろうとしても、痛くて横になれない。母はそのときの医師の言葉が忘れられない。

「すごく強い痛み止めの注射を打たないといけません、ひょっとしたら心臓が止まるかもしれないので覚悟してください」

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