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女子アナが「男性の体臭批判でクビ」の皮肉な現実 「わざわざ言う必要があるのかには慎重に」

東洋経済オンライン / 2024年8月14日 18時20分

こうした企業理念は、経営上の柱となる。事務所の考え方と異なる発言を放置していたとなれば、会社もしくは他の所属タレントにも、火の粉が降りかかる恐れがある。同社にとって「言葉」は最大の商売道具だ。そこでの不祥事となれば、「一発アウト」もやむなしだと感じてしまう。

今回の事案は、アナウンサーに対する「世間の認識」を再確認する出来事だった。筆者は常日頃から、アナウンサーが個性を出すことに違和感を持つ視聴者が、一定数いると感じていた。そこには「淡々と時代を伝えること」が、その使命だとの考え方がある。

とくに放送局に所属する、いわゆる「局アナ」は、パッケージングされた自社番組以外で、「自分の色」を出すことと相性が悪い。この間も、体調不良で休養中の局アナが、パリ五輪を観戦してバッシングを浴びた。

インスタグラムの投稿で「会社に報告している」と書き添えていたにもかかわらず、炎上してしまった理由には、やはり「アナウンサーは淡々と原稿を読め」といった先入観があるのではないか。

こういった視線は、アナウンサーのみならず、私も含めたメディア業界全体に対して向けられている。新聞記者のSNSが失言で炎上するのも、基本的には似たような構図だ。世間はファクト(事実)を伝えてほしいのに、一部の記者はそこに個人のエモーション(感情)を混ぜ込んで発信したくなる。

両者をうまく見分けられる受け手は「知りたいのはそれじゃない」と断じることができるが、違いを認識できない人は、記者の感情ベースで書かれた文面も「事実の一環」だと捉えてしまう。そうして記者個人の発言が「社論」や「社風」だと感じられ、結果的に媒体社の企業体質まで問われることになってしまう。

「わざわざ言う必要があるのか」という皮肉な過去投稿

とはいえ、「アナウンサーや記者は個性を殺せ」と言っているのではない。それが持ち味になる場所で発揮すればいいのだ。

たとえばエース級の局アナは、自社制作の看板番組内で、個性を発揮していることが多い。ただ、それは個人ではなく、集団戦である。スタッフとの共同作業で、まさに「社風」をつくっていく。その観点に立つと、このところ人気アナが役員待遇に昇格する理由もよくわかる気がする。

あらゆる発言には、それに適した場がある。そして場合によっては、「言わないこと」も重要だ。ことメディアにおいては、ファクトが伝えられないのは問題だが、エモーションは必須条件ではない。

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