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JR横須賀線「終戦で役割変わった」駅の稀有な歴史 街の中心駅でないが今や軍港巡りの観光拠点に

東洋経済オンライン / 2024年8月15日 7時30分

JR横須賀線・横須賀駅の駅舎(筆者撮影)

首都圏で鉄道を日常的に利用する人なら、JR東日本の横須賀線は、おなじみの路線のひとつになるだろう。

【写真を見る】地震による津波を想定した避難訓練を広い構内で実施したこともある。現在の横須賀駅と周辺の様子

正式な路線区間は大船―久里浜間となるが、現在は東海道貨物線を経由して総武快速線と直通運転を行い、湘南新宿ラインの一部にも組み込まれており、毎日の通勤通学から観光まで多様な目的の人々を運んでいる。

横須賀初の鉄道駅

横須賀線は1889年、まず大船―横須賀間が開通した。途中駅は鎌倉と逗子の2駅のみであり、京浜急行電鉄本線が横須賀市内に乗り入れたのは1930年なので、横須賀駅は横須賀初の鉄道駅だった。

【写真】地震による津波を想定した避難訓練を構内で実施したこともある。現在の横須賀駅と周辺の様子

その後、田浦駅が開設され、1944年に現在の終点である久里浜駅まで延びた。こうした経緯を考えれば、路線名が横須賀線、駅名が横須賀駅となったのは納得できるところである。

しかしながらこの横須賀駅、中心市街地からやや離れた場所にある。中心市街地にあるのは、1930年に開業した京急線の横須賀中央駅で、市役所への最寄り駅もここになる。京急線でJR横須賀駅に近いのは、逸見駅および汐入駅だ。

最初に置かれた駅なのに、なぜ中心市街地にないのか。その理由は、横須賀線開設までの経緯が関係している。

横須賀市などが運営に関わる「横須賀市観光情報」ウェブサイトによると、当時の横須賀には大日本帝国海軍の鎮守府が置かれ、三浦半島東端の観音崎には陸軍の砲台があるなど、軍部の要衝になっていたが、人員や物資の輸送は船便に頼っていた。

そこで陸海軍は、鉄道布設の必要性を記した請議書を海軍大臣および陸軍大臣の名を連ねて総理大臣・伊藤博文に提出。この求めに応じて当時の鉄道局が工事を開始した。

当初は観音崎付近を終着駅にしてほしいという要望があったが、費用が嵩むうえに、横須賀の市街地を通さなければならないなどの問題があり、現在地になったという。

横須賀が陸海軍の要衝になったのは、江戸時代末期にペリーが浦賀に来航したのがきっかけだった。江戸幕府は自分たちの力で国を守る必要性を考え始め、製鉄所(造船所)の検討を始めた。その場所として選ばれたのが、東京湾の入り口にある横須賀だった。

日本の近代化に貢献

1871年に完成した横須賀製鉄所は、観音崎をはじめとする灯台などの建設にも貢献した。しかし主たる任務は造船であり、鎮守府が横須賀に置かれると製鉄所はここの管轄になり、まもなく横須賀海軍工廠と名を変えた。

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