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「中宮彰子の出産後」に紫式部を襲った"深い憂鬱" 夜が明ければため息をつき、1人思い悩む日々

東洋経済オンライン / 2024年8月17日 9時30分

京都御所(写真:hanadekapapa / PIXTA)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は中宮・彰子の出産後の宮中と紫式部のエピソードを紹介します。

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男子を出産した中宮・彰子

寛弘5(1008)年9月11日、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)は無事に男子(敦成親王)を出産します。

【写真】紫式部が一人思い悩みながら詠んだ歌に登場する水鳥

その後は、産湯を使う「御湯殿(おゆどの)の儀」や、親戚や知人から衣服・調度・食物などが贈られ、一同が集まって祝宴を開く「産養(うぶやしない)」と呼ばれる儀式が行われました。産養は子どもが産まれた日から、3日目・5日目・7日目・9日目の夜に行われ、紫式部の日記にもそれらの日の産養の様子が記されています。

5日目(9月15日)の産養は、皇子の祖父である藤原道長の主催で行われたため、紫式部の日記にはその日の様子が詳しく記されています。

また7日目の産養は、朝廷が主催しました。蔵人少将・道雅が勅使としてやって来て、贈り物の数々を記した目録を柳箱に入れて献上しました。

中宮はそれを一目見てすぐにお返しになったようです。柳箱をもらうのは、儀礼的なものだったのでしょう。

7日目の夜の儀式は、特に大掛かりで、皆おおいに騒いでいたそうです。そんな中で、紫式部は中宮彰子がいらっしゃる御帳台(天蓋付きのベッド)をそっと覗き込みました。

紫式部は中宮のそのときの様子をこう書き記しています。

「御帳台の中を覗き込むと、中宮様は、国母と騒がれるような、押しも押されもせぬ御姿ではない。少しご気分が悪そうで、顔もやつれてお休みされている。その姿はいつもより弱々しく、若く、愛らしげだ。御帳台の中には小さな灯が掛けてあり、光に照らされた中宮の肌色は美しく、底知れぬ透明感があり、床姿の結髪で髪の豊かさが目立っている」

出産の緊張感から解放されても儀式などが続き、中宮も疲れていらしたのでしょう。その中宮を見つめる紫式部の心には、中宮を労わりつつ、どこか、年下の妹か子どもを愛おしむような想いが芽生えたのではないでしょうか(ちなみに紫式部は彰子よりも10歳ほど年上でした)。

道長の驚きの行動

出産直後の一連の儀式が終わると、中宮にも休息の時間が訪れました。紫式部の日記には「中宮様は10月10日過ぎまで御帳台からお出ましにならない」とあります。とはいえ、当然ながら、紫式部たち中宮に仕える女房は御座所に出勤し、夜も昼も中宮の傍に常駐したのでした。

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