「もしも家康が総理」で吉宗がボヤいた驚く一言 多方面に気遣い、暴れん坊将軍ではなかった?
東洋経済オンライン / 2024年8月17日 18時0分
吉宗を将軍にするべく、紀州藩の家臣たちが注力したのは、反主流派の取り込みである。大奥の天英院や新井白石の論敵である林大学頭信篤、そして、老中を始めに幕府の要職にいた譜代門閥層の支持を取りつけるために働きかけた。
そのため、吉宗は将軍になってからも、支持してくれた譜代門閥層や大奥に最大限の配慮を行いながら、財政的に苦しい幕府を立て直さなければならなかった。
徳川家を長く支えてきた譜代門閥層は本来、幕政の中枢にいるべき存在だが、綱吉が始めた「側用人政治」を契機に、段々と軽視されていった。そのため、吉宗は支持してくれた譜代大名のために、将軍になってすぐに「側用人の廃止」に踏み切っている。
その一方で、大奥の二大勢力、つまり、第6代将軍・徳川家宣の正室である天英院の派閥と、家宣の側室で第7代将軍の家継の生母である月光院の派閥のケアも怠らなかった。天英院には1万1100両と米1000俵、月光院には8600両と米1130俵と、手当を増額している。
吉宗は四男であり、紀州の藩主になる見込みさえ薄かった。まさか将軍の座までつかむとは、誰も予想しなかっただろう。それゆえ吉宗は「強運」とされるが、実際のところは、吉宗とその周辺が、将軍の座をつかむべく動いていたのである。
吉宗は将軍の嫡男でもなければ、兄弟でもない。つまり江戸城内には気心知れた相手がいない。「側用人の廃止」によって、将軍へと後押ししてくれた譜代門閥層に配慮したのも、それだけ支持基盤がもろかったがゆえといえる。
だが、幕府の内実を考えると、そうやってご機嫌取りばかりしているわけにはいかない。というのも、元禄時代のバブルがはじけてしまい、不景気が全国に蔓延していた。幕府も財政赤字に陥っており、旗本・御家人への給与の支払いも滞るほど深刻だった。
つまり、吉宗は江戸城での人間関係を一から構築しながら、さらにみなが嫌がる財政改革を行わなければならなかったのだ。そのためには、家柄に頼る譜代大名たちでは話にならない。すでに実績があり、信用できる紀州藩士を登用する必要があった。
信頼できる紀州藩士を重要ポストにつけた
吉宗は「御側御用取次」というポストを作り、紀州藩政を支えた有馬氏倫と加納久通らを抜擢。御側御用取次は「将軍と老中の間を取り持つ」というのがその役割だったが、実質は将軍が政務を行うにあたっての相談役であり、人事にまで介入したようだ。
有馬と加納は将軍の「左右の手のごとく」働いたとされており、将軍直下の実行部隊だったとみるのが妥当だろう。
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