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「もしも家康が総理」で吉宗がボヤいた驚く一言 多方面に気遣い、暴れん坊将軍ではなかった?

東洋経済オンライン / 2024年8月17日 18時0分

吉宗が巧みなのは、御側御用取次を「旗本が就く職」として、規定役高を5000石としたことである。これまでの側用人には、身分が低い者もいたが、側用人にとりたてられたことで大名格になった。1万石以上の領地を持ち、老中に準ずる待遇を与えられていたため、どうしても側用人は反感を買いやすかった。

そこで吉宗は、御側御用取次の待遇をあえて手厚くしないことで、抜擢された者たちが嫉妬によって周囲から足を引っ張られるのを防いだのである。

そうして譜代門閥層の顔を立てながらも、信頼できるかつての実務者を登用した吉宗。幕政の中核にいた間部詮房、新井白石をはじめ、小姓や小納戸、奥医師などを退職させて、多くの紀州藩士を幕臣として迎えている。

また、吉宗は大岡忠相を江戸奉行に抜擢し、青木昆陽や西川如見といった異色の学者も登用した。享保7(1722)年には、水野忠之を勝手掛老中(財政担当)に任命。盤石の体制で「享保の改革」へと乗り出すことになる。

そうして昔からの仲間や、自分が「これぞ」と思う人物を慎重に取り立てながら、吉宗は世間の評判もかなり気にしていた。情報統制のために、吉宗が新設したのが「御庭番」という役職である。

「御庭番」という名のスパイに探らせる

御庭番はその名のとおり、任務は庭の番人だが、それはあくまでも表向きのもの。幕府は御庭番に旅費を支給したうえで、旅行を命じて、大名家の内情を探らせたり、自分の打ち出した政策の評判を調べさせたりした。町人へと変装までさせていることからも紛れもなく吉宗のスパイである。

御庭番に任命されたのは、吉宗の生母、浄円院(お由利の方)にしたがって紀州から江戸に出てきた17人であり、吉宗は彼らを桜田の御用屋敷内に住まわせた。吉宗が、最も裏切らない人間関係とみなしたがゆえだろう。

そのほか、吉宗の政策としては、「目安箱」を設置して庶民の声を拾い上げたことがよく知られている。

目安箱に寄せられた情報で詳しく知りたい内容があれば、吉宗が御側御用取次を通して、御庭番に命じて、情報の真意を探る。そんなネットワークが構築されていた。

目安箱は、庶民に寄り添った政策とされている。だが、実は吉宗自身にもメリットがあった。江戸城内に権力基盤をもたない吉宗にとっては、町人や百姓などからの直接的な訴えは、改革を推し進めるうえで、重要な材料となったからだ。

また、自分1人にタレコミが集まるように仕組みをつくったことで、「情報を握りつぶすも、活用するのも、自分次第」という環境をつくり上げることに吉宗は成功したのである。

映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」では、状況に応じた適切な政策を立案し、総理である家康に提案する姿も見られた。まさしく吉宗の用意周到さが巧みに描写されているといえるだろう。

ほかの最強内閣の面々についても、歴史人物をより深く知るヒントがちりばめられている。ぜひそういった視点でも、本作を楽しんでいただきたい。

真山 知幸:著述家

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