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理想的に育った「紫の姫君」が、心から傷ついた夜 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵⑨

東洋経済オンライン / 2024年8月18日 17時0分

もの思いにふけることが多くなり

光君は自分の部屋に入り、中将の君という女房に足を揉(も)んでもらっているうちに眠りに落ちた。翌朝には左大臣家にいる若君に手紙を送った。受け取った左大臣家からは悲哀のにじむ返事が来て、光君は悲しみの深さを思い知らされる。

光君は、もの思いにふけることが多くなり、忍び歩きもだんだん億劫になって、出かけようともしない。紫の姫君は何もかも理想的に育ち、女性としてもみごとに一人前に思えるので、そろそろ男女の契りを結んでも問題はないのではないかと思った光君は、結婚を匂わすようなことをあれこれと話してみるが、紫の姫君はさっぱりわからない様子である。

することもなく、光君は西の対で碁を打ったり、文字遊びをしたりして日を過ごしている。利発で愛嬌(あいきょう)のある紫の姫君は、なんでもない遊びをしていても筋がよく、かわいらしいことをしてみせる。まだ子どもだと思っていたこれまでの日々は、ただあどけないかわいさだけを感じていたが、今はもうこらえることができなくなった光君は、心苦しく思いながらも……。

いったい何があったのか、いつもいっしょにいる二人なので、はた目にはいつから夫婦という関係になったのかわからないのではあるが、男君が先に起きたのに、女君がいっこうに起きてこない朝がある。

「どうなさったのかしら。ご気分がよろしくないのかしら」と女房たちが心配して言い合っていると、光君は東の対に戻ろうとして、硯箱を几帳の中に差し入れていった。近くに女房がいない時に、女君がようやく頭を上げると、枕元に引き結んだ手紙がある。何気なく開いてみると、

あやなくも隔てけるかな夜(よ)をかさねさすがに馴(な)れし夜(よる)の衣(ころも)を
(どうして今まで夜をともにしなかったのかわからない。幾夜も幾夜も夜の衣をともにしてきた私たちなのに)

とさらりと書いてある。光君が、あんなことをするような心を持っていると紫の女君は今まで思いもしなかった。あんないやらしい人をどうして疑うことなく信じ切ってきたのかと、情けない気持ちでいっぱいになる。

心から傷ついている女君

昼近くなって光君は西の対にやってきた。

「気分が悪いそうだけれど、どんな具合ですか。今日は碁も打たないで、退屈だなあ」と言って几帳をのぞくと、女君は着物を引きかぶって寝たままだ。女房たちがみな離れて控えているので、女君に近づいて、光君は言う。「どうしてそんなに私を嫌がるの。思いの外、冷たい方だったのですね。女房たちも何かおかしいと思いますよ」と、引きかぶった着物をはがすと、女君はひどく汗をかいていて、額の髪も濡れている。「おやおや、これはよくない。たいへんなことだ」などと、何かと機嫌をとってみるが、心から傷ついている女君は一言も言わず黙りこんでいる。「わかったよ。もう二度とお目には掛かりません。恥ずかしい思いをするだけだから」

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