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日本銀行の独立性を殺したのはいったい誰なのか 歴史に禍根を残すことになった「8.7内田会見」

東洋経済オンライン / 2024年8月18日 9時30分

ところが、独立後、対峙するのは、それらを意に介さない政治家になった。デフレ脱却というかけ声、キャッチコピーに、すべての理論どころか理屈でさえかき消され、異常な金融緩和を迫られた。

それに従うしかなかった結果、株価が上がったことで、世間は「向こうの味方」についた。しかも、日銀が組織的に従ったために、日銀が異常な金融緩和の主体、主役、張本人だと思ってしまった。

今回、今までの政策の反動、ツケが円安や物価高として国民生活を襲ってきたときに、非難はすべて日銀に押し寄せてきた。

日銀は、政治の圧力には忸怩たる思いがあっただろうが、「世間」の圧力にはなすすべがなかった。

これが、財務省ならば「自分たちは未来の国家のために、政治のポピュリズム(大衆迎合的な姿勢)と戦っている。その影響を受けた国民がポピュリズムに染まっていれば、国民がポピュリズム政策を求めれば求めるほど、それは国家の道を誤らせる」と燃えに燃え、世間に批判されればされるほど自分たちの使命が重要だと信じ、アンチポピュリズムに邁進する。

「レッテルの除去」を願った「8月7日会見」

一方、日銀はそれとはまったく違った組織風土で、「理論上正しいことをピュアにやる。ピュアにやるためには、そういう圧力、批判からは無縁でいたい。だから、政治はともかく、世間に怒られることで、自分たちのピュアなよりどころを失うことはできない」。だから、とにかく怒られることは避けるのだ。

これを象徴するのが、7月31日の決定会合の結果発表直前にメディアで流された元日銀の有力者のコメントだ。「今度は、世間に怒られずに利上げができる」。政治にも世間の圧力にもかかわらないために真空地帯を求めて、真空が成立したときだけ政策を動かす。

だからこそ、日銀の利上げだけが理由ではなかったにもかかわらず、株価の大混乱が「日銀の利上げのせいだ」というレッテルを貼られることになった。しかも、それが政治ではなく、世間の認識となってしまったために、そのレッテルを外すべく、8月7日に内田副総裁は7月31日のタカ派的な記者会見を否定し、レッテルの除去を願ったのである。

しかし、これは大いに禍根を残した。レッテルは除去されるはずもなく、間違った歴史認識「日銀の利上げが株を暴落させた」ということは、もはや世間の記憶に永遠に記録されてしまった。

その一方で、したたかな政治家と市場の投機家たちは「日銀は圧力をかければ動く。株価変動、為替変動で金融政策の見通しをころころ変える」という弱みを握ったのだ。

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