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虎に翼モデル「三淵嘉子」が愕然とした"差別文言" 「女性弁護士誕生」と騒がれる事に違和感を抱く

東洋経済オンライン / 2024年8月21日 9時20分

『虎に翼』(写真:NHK公式インスタグラムより引用)

NHKの連続テレビ小説『虎に翼』が放送以来、好調をキープしている。毎朝の放送のたびに、SNSでも大きな話題となっているようだ。主人公・佐田寅子(ともこ)のモデルとなっているのが、女性初の弁護士で、女性初の裁判所長となった三淵嘉子(みぶち・よしこ)である。実際にはどんな人物だったのか。解説を行っていきたい。

成績優秀でも不安だった「司法科試験」

「法律を勉強なさるのですか。それはおやめになったほうがよろしいですよ」

【写真】三淵嘉子が学んだ明治大学

明治大学専門部女子部法科で法律を学ぶことを決意した三淵嘉子は、母校の高等女学校に卒業証明書をもらいにいくと、女性教師からそう苦言を呈されたという。

「お嫁のもらい手がありませんよ」とも言われたが、嘉子の気持ちが揺らぐことはなかった。「父の了解を得ていますから」と伝えて、嘉子は意志を貫いている。

その背景には、父からかけてもらった忘れられない言葉があった。また、当初は法律を勉強することに反対していた母も、嘉子の思いを知ってからは、誰よりも応援してくれたことも大いに励みになったことだろう(参考記事【「虎に翼」のモデル"三淵嘉子"人生支えた父の一言】)。

嘉子は明治大学専門部女子部(3年生)でかけがえのない仲間を得て、法律の勉強に邁進する。時にはハメをはずしながらも(参考記事【「虎に翼」モデル"三淵嘉子"大胆すぎるスキー事件】)、20歳で女子部を卒業すると、明治大学法学部に編入。男子学生と共学という大きな環境の変化のなかでも、嘉子は変わらずトップの成績を維持し、首席で卒業を果たすことになる。

それだけ優秀な嘉子でも、卒業後の司法科試験は、大きなプレッシャーだったようだ。当時、司法科の試験は論文の筆記試験を日曜日以外の7日間で行い、それに合格したものが、口述試験に進むという形式だった。

試験後に自宅の玄関で泣き崩れた

筆記試験が7日もあれば、うまくいかない日も当然出てくることだろう。ある筆記試験のときには、帰宅した嘉子が玄関で「試験に失敗した……」と泣き崩れて、家族を驚かせたこともあった。

事情を知って嘉子のもとへと急いだのは、野瀬高生である。当時、嘉子の家には、書生として住み込んでいた学生がおり、野瀬もその1人だった。

野瀬はちょうど嘉子が試験を受ける2年前に、司法科試験に合格。東京で司法官試補として働いていた。嘉子の母親から連絡を受けると、野瀬は嘉子に会いに行き、どんな答案を書いたのか詳しく聞いてみた。

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