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「19浪で九州大」心病まずに挑戦し続けられた理由 共通一次とセンター20回挑戦、学費工面の日々

東洋経済オンライン / 2024年8月25日 8時0分

※写真はイメージです(写真: Fast&Slow / PIXTA)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は他大学に進学したり、就職したりすることもなく、共通一次とセンター試験を20回受験して「純粋19浪」を経験し、九州大学工学部電気情報工学科に合格した山田洋(ひろし)さんにお話を伺いました。

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就職も他大への進学もせず「純粋に19浪」

今まで、この連載では10年を超える浪人を経て、挑戦を続けてきた人たちを紹介してきました。

【写真】19浪を経験した山田さん。今は塾で子どもたちに受験指導と浪人時代の経験を伝えている。

10年以上の場合、多くの人は浪人期間の途中でどこかの大学に入ったり、会社で働きながら受験勉強を続けていました。

しかし、今回お話をお聞きした山田洋(ひろし)さんは、どこにも進学も就職もせず、「アルバイトで生計を立てながら」共通一次とセンター試験を20年間受け続けて、純粋に19浪して、九州大学に入った方です。

19浪ともなると、1人の赤ん坊が現役の大学生になるまでの期間、浪人し続けてきたとも言えるでしょう。今回はその壮絶な浪人人生に迫ります。

山田さんは1966年、鹿児島県鹿児島市生まれ。10歳で父親が亡くなってからは母子家庭で育ちました。小さいころの山田さんは、活発で、人と話すのが好きな子どもだったようです。

「至って普通だったと思います。遊ぶことが大好きで、勉強はほぼしない子どもでしたね」

小学校・中学校時代前半の成績は中の中くらいでしたが、中学2年から塾に通い始めると、急激に成績が伸び始めました。

ここで「勉強の楽しさに目覚めた」山田さんは、地元の進学校である鹿児島中央高等学校に進学します。しかし、優秀な人たちが多く通う高校だったため、進学してからの成績は中の下で推移しました。

「高校では柔道部に入って部活を頑張っていました。でも成績はよくありませんでしたね。英語だけは得意で平均くらいの成績はありましたが、模試の偏差値は50もいかず、どこの大学もいちばん下のE判定だったと思います」

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