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「19浪で九州大」心病まずに挑戦し続けられた理由 共通一次とセンター20回挑戦、学費工面の日々

東洋経済オンライン / 2024年8月25日 8時0分

新聞奨学生の過酷な生活に耐えかねた山田さんは、4浪目以降は代々木ゼミナールの単科コースに切り替え、苦手科目だけ月謝を払ってピンポイントで受講するようになりました。これ以降15年間、生活習慣はほぼ変わらなかったそうです。

「毎年、ずっと何かの科目を受講していました。予備校全体の学費がかかるわけではないので、毎年アルバイトをやって、学費のやりくりをしていました。

接客の仕事が好きだったので、デニーズや魚民・笑笑などの飲食店でウェイター、ゴンドラでビルの壁を清掃、新宿2丁目で水商売、銀座のクラブでボーイ、とさまざまなアルバイトをしました。東京はバイトがいくらでもあったので、危険なバイトもたくさんやりましたね」

2浪目からは、毎年東京大学の理科1類を受け続けた山田さんは、共通一次がセンター試験に変わってからも、単年で得点が下がることはあれども、着実に、ゆるやかに成績を伸ばし続けていました。

「成績は少しずつ、トータルで見ると上がり続けていました。点数が(前年に比べて)微増の場合もあれば、たまに何十点か上がるということを繰り返す十数年で、最後の年には共通一次・センター試験で一度も満点を取れなかった科目は、国語と英語だけになっていました。

合計で、共通一次とセンター試験は20回、東大は18回受けましたね。昔はセンター試験の足切りラインはさほど高くなかったので、二段階選抜を突破できず、足切りにあったことは一度もありませんでした。それでも、全部の科目で高得点を取れることはなかったです」

長い間勉強して嫌にならなかった理由

どこの大学もE判定だった模試の成績も、5~6浪目くらいからはD判定が出るようになり、19浪目には東大でC判定が出るようになりました。ここまで長く受験勉強を続けられた原動力はどこにあるのでしょうか。

「実は私もよく『そんな長い間勉強して嫌にならないの?』と言われました。たしかに毎年、受験に失敗したそのときだけは落ち込んでいましたね。でも、自分の性格的にすぐ気持ちを切り替えられるのがいい点だったのだと思います。

何浪かした時点で、一流企業に就職するのは諦めていました。『どうなっても、自分の人生だ』と達観していて、自分を雇ってくれるところで生きていければいいやと思っていたのが、よかったですね。勉強に関しても、毎年アルバイトと勉強を交互にやる感じで、根を詰めて勉強をずっとしているような1年じゃなかったので、続けられたのだと思います」

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