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「陰湿な宮廷に嫌気」紫式部が決意した"キャラ変" リスクがあるにもかかわらず彰子に極秘講義も

東洋経済オンライン / 2024年8月25日 9時30分

平安神宮(写真:hanadekapapa / PIXTA)

NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第33回は、宮中での生活に嫌気がさした紫式部が取った行動を紹介する。

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出仕後すぐに実家に引きこもってしまう

「石の上にも三年」なんて諺を持ち出したら、化石扱いされるかもしれない。

【写真】宮中での生活に嫌気がさし、家に引きこもってしまった紫式部。写真は式部の歌にも登場する奈良県・吉野山

限りのある人生だ。自分の意にそぐわない環境ならば、いち早く脱して、自分らしく生きられる道を模索したほうがよい……どちらかというと、そうした考えが支持される時代になった。

そんな空気のなかで、何かと嫌なことから逃避しがちな文豪たちを取り上げて、『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』という本を書いたりもしたが、紫式部もまた慣れない宮仕えに嫌気がさすと、早々に退散している。

紫式部が、藤原道長の娘で、一条天皇の中宮である彰子のもとに出仕したのは、寛弘2(1005)年、あるいは、寛弘3(1006)年頃だとされている。

出仕して早々に憂鬱になってしまったようだ。「初めて内裏わたりを見るにも、物のあはれなれば」、つまり「初めて内裏で生活をするにあたって、物思いに耽ることがあり」という詞書のあとに、こんな和歌を詠んでいる。

「身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる」

(わが身のつらい思いがいつまでも心の中についてきて、いま宮中で心が幾重にも思い乱れることだ)

続いて、「まだ、いとうひうひしきさまにて、古里にかへりて後」とあり、宮仕えに慣れないままに実家にいったん帰ったらしい。

そんなときに「ほのかに語らひける人に」、つまり、宮仕え中に少し会話をした人に対して、こんな和歌を送っている。

「閉ぢたりし 岩間の氷 うち解けば を絶えの水も 影見えじやは」

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