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もうすぐGDP世界3位になる「大国インド」の実情 ヒンドゥー・ナショナリズムが台頭する背景

東洋経済オンライン / 2024年8月27日 9時0分

実際にインド共和国には1割強のイスラーム教徒が住んでいます。ほかにもシク教やジャイナ教といった信仰を持つ人たちもいます。インド共和国はこうした宗教対立をなるべく避ける国家運営をしてきました。

もっといえば、インドでは現在もカースト制度が残存していてカーストによる対立があり、加えて公用語も20近くあります。それゆえ言語による対立もあり、インドはヒンドゥー教徒が多いといってもその内部に対立を抱えており、ヒンドゥー教でひとまとめにできない多様性があります。したがって、パキスタン=イスラームvs.インド=ヒンドゥー教といった対立図式はあまりにも表面的な見方にすぎないことを強調しておきます。

「宗教の違いによる対立」もないわけではありませんが、もっと解像度を上げる必要があります。同じ宗教の信徒であっても、熱心な信徒もいれば、親が信徒だったからなんだよね、という人もいるなど、濃淡があるわけです。こうしたことを無視して宗教対立と一言で片づけるのは思考停止だと思っています。

インドとパキスタンの対立はセキュラー国家と宗教国家の対立であって、言い換えれば国民統合の理念をめぐる対立なのです。宗教による対立ではなく、宗教を使って国民をまとめあげようとするパキスタンと、宗教によらず国をまとめあげようとするインドの対立というわけです。

インドとパキスタンが分離独立した直後の1947年に両国の軍事衝突が起きました。これを第1次印パ戦争(カシミール戦争)と呼びます。

イギリスの植民地だったインドは、イギリスが直接治めている地域と、イギリスから支配を任された藩王が治める地域がありました。分離独立の際、藩王はパキスタンとインドのどちらかに帰属することを迫られます。

今も決着していない「カシミール問題」

このときカシミールを治めていた藩王はインドに帰属することを決めますが、このカシミールは圧倒的にムスリムが多いためにインドとパキスタンがもめることになったのです。結局カシミール地方は南北に分断され、北部はパキスタン、南部(ジャンムー=カシミールと呼ぶ)はインドが暫定的に統治することになります。

1965年には同じくカシミール地方で武力衝突が起きます(第2次印パ戦争)。カシミール問題は今も決着はついていません。なお、カシミールの一部であるアクサイチン地区は現在、混乱に乗じて中華人民共和国が実効支配しています。

インドは1974年に初めて核実験を行いました。これに対抗してパキスタンも核開発を進めます。1998年5月になって本格的な核実験をインドが実施すると、その直後にパキスタンも核実験を行います。

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