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1日10万個製造「京都おたべ工場」内部の凄い光景 意外と知らない八ツ橋の歴史と工場見学の内容

東洋経済オンライン / 2024年8月30日 10時0分

京都市南区にある「おたべ本館」(写真:筆者撮影)

モチモチした皮にあんこが包まれた、生八つ橋の「おたべ」が次から次へと流れてくる――。

【写真】京都のお土産、おたべが製造されている工場内部を見てみよう

これは株式会社美十(びじゅう)の「おたべ本館」工場見学で、実際に見ることができる光景だ。

京都のお土産として、日本人のみならず、外国人観光客にも人気の生八つ橋のおたべ。製造する美十は、数ある八ッ橋メーカーの中では後発組だが、生八つ橋の量産化に成功した企業でもある。

無料・予約不要で工場見学ができて、出来たての生八つ橋が味わえるのはこの「おたべ本館」だけだ。

おたべ誕生のきっかけ

工場見学の話の前に、八ッ橋の歴史に触れておきたい。

八ッ橋の歴史は、江戸時代にまで遡る。

最初に誕生したのは、「(焼き)八ッ橋」だ。

江戸時代の商人が音楽家である八橋検校(やつはし けんぎょう)を偲び、琴の形をモチーフにしたお菓子を売り始めたのがはじまりだと言われている(※所説あり)。

たちまち京都中に広がった八ッ橋は、多くのお店で売られるように。その後、純喫茶を営んでいた酒井清三氏(美十の初代社長)も、八ッ橋の製造に乗り出そうと考えた。

【写真18枚を見る】出来立てのおたべが次々と流れてくる、工場内部をのぞいてみよう

そこで手始めに他店と同様に、焼いた八ッ橋を販売。しかし、それでは差別化を図ることはできない。他店では焼いていない柔らかい生地の生八つ橋もあったが、それでは量産化が難しい。

清三氏とその息子の英一氏が「ほかにはない八ッ橋を売れないか」と考えて浮かんだのが、おたべだった。

おたべが発売される前に、他店で販売されていた生八つ橋は、上生菓子のようなお菓子で、量産は難しかった。そこで、おたべにはある工夫が施された。

おたべはなぜ三角形なのか?

簡単にたくさん製造できるように、生八つ橋にあんこを折りたたんだ、シンプルな三角形の形にしたのだ。ちょうどおたべが発売された当時は、高度経済成長期で旅行者が増えたタイミング。お土産需要が期待されるタイミングで、生八つ橋の量産化にこぎつくことができた。

ちなみに、現在の社名である「美十」は、冒頭でも触れた通り、清三氏が最初に事業を興した純喫茶の店名に由来している。

造り酒屋や綿布問屋、染屋、時計店など数々の職を経験した清三氏は、29才のときにクラシックレコードが聴けるアール・デコ風の純喫茶「美十」を開業。戦争の影響を受け、残念ながら1945年に閉店を余儀なくされたが、その翌年には京都の河原町六角で、菓子小売店を開業。現在の美十の製菓事業につながっている。

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