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「3浪で公立大合格」ようやく気づいた学ぶ楽しさ 進学先の大学に合わず、再度受験を決意した

東洋経済オンライン / 2024年9月1日 8時0分

離婚はせず、籍を残したままの「別居」は、米村さんの成人が近くなり、正式に離婚が成立するまで続きました。

「もともと自由学園は母親が入れた学校でしたし、父親はどちらでもよかったようです。僕自身は公立でもいいかなと思って転校したのですが、学校の授業が(前の学校ですでに習っていたところだったため)暇で、難しい内容を扱う塾のコースに入りました。そこがたまたま中学受験のコースだったので、その流れで中学受験をして、神奈川県にある鎌倉学園に合格しました」

こうして鎌倉学園中学校・高等学校に入った米村さん。元々、鉄道好きだったこともあり、鉄道模型を買ってジオラマを作ったり、毎年夏になると青春18きっぷを握りしめて全国を旅行したりと、鉄道研究部の活動に没頭しました。

高校に入ってからは弁論部に入り、中高生向けのディベート全国大会、『ディベート甲子園』を目指しました。それには鉄道研究部の定例会議で議論になった際に、なかなか自分の意見が主張できず、押し黙ってしまった悔しい思いがあったようです。

ディベート甲子園を目指して頑張ったものの、最初は試合に出ても負ける日々を送っていた米村さんですが、強くなるために他人の練習風景を見たり、大人のアドバイスをもらうなど努力を積み重ねました。

「全国大会に行けたというのが自分の中の成功体験として、大きかったです。そのときの経験から、自分なりに工夫すれば目指したい方向に行けるんだという自信になり、大学でもディベートを続けたいと思いました。当時日本語競技ディベートに取り組んでいる代表的な大学が東京大学とほかにもう1大学くらいだったので、東京大学理科1類を第1志望にしました」

東大はずっとE判定だった

高校2年生のときの成績は、学年170人中30〜60位と悪くはなかった成績。しかし、東大を目指すには振るわず、トータルの偏差値はよくて全統河合記述模試で55前後。MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)でやっとC判定が出ましたが、東京大学はずっとE判定でした。

「このままではさすがにまずいのはわかっていたので、高2の秋で部活を引退して、受験勉強に集中しました。食事や寝る時間以外は勉強に費やすぐらいの生活を送り、行き帰りの電車の時間もずっと勉強していたのですが、成績はなかなか伸びず、高校3年生の4月ごろには横浜国立大学の理工学部に志望校を変更しました」

とはいえ、横浜国立大学でも判定はE~Dがほとんど。センター試験では65%に終わり、前期は横浜国立大学・後期は電気通信大学を受けるもどちらも不合格に終わりました。

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