1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「中宮彰子が皇子出産」喜ぶ道長と周囲の"温度差" 彰子のめでたい出産に喜べなかった人々も

東洋経済オンライン / 2024年9月1日 11時0分

結局、その日は何事もなく暮れて、次の朝がやってきた。いつ生まれるのかわからないなかで、これだけの体制を備えておくのは、さぞ大変だったことだろう。

式部が改めて彰子を尊敬したワケ

翌日もまた賑やかだったらしい。御帳台の東側では、内裏から来た女房たちが集った。そして反対側の西側では、「御もののけ移りたる人びと」、つまり、中宮のもののけが移った憑坐(よりまし)たちが屏風に囲い込まれていたという。憑坐とは、修験者や巫子が神を降ろすときに、神霊を乗り移らせる童子や人形のことだ。

その囲みの入口には几帳を立てて、「験者あづかりあづかりののしりゐたり」とあるように、修験者たちが憑坐1人ひとりを担当して祈祷の声を上げていたという。式部は次ように描写している。

「頼みみ恨みみ、声みな涸れわたりにたる、いといみじう聞こゆ」

祈願したりまた恨んだりしながら、皆が一様に声を枯らしており、それがたいそう尊く聞こえる――。

これほど物々しい雰囲気では、妊婦がかえって不安になりそうだが、出産を控えた時期の彰子はどんな様子だったのか。式部はこう書いている。

「悩ましうおはしますべかめるを、さりげなくもて隠させたまへる御ありさま」

(出産を控えて身体もつらいに違いないのに、平静をよそおって隠していらっしゃる)

いかにも控えめな彰子らしい。そんな姿をみて、式部はこんな思いに駆られたのだという。

「憂き世の慰めには、かかる御前をこそ、尋ね参るべかりけれ」

(つらいことが多いこの世で心を慰めるには、探し出してでも、このようなお方にこそお仕えすべきだ)

式部が中宮の彰子に仕えた経緯は、よくわかっていない。だが、どんな巡り合わせにしても、式部は運命の出会いに感謝したことだろう。

寛弘5(1008)年9月11日、彰子は無事に男の子を出産した。のちに後一条天皇となる敦成親王である。彰子の出産に、国内は一気にお祝いムードに沸いた。

なにしろ、式部が「平らかにおはしますうれしさの類もなきに」と書くように、安産であるだけでも喜ばしいのに「男にさへおはしましける慶び、いかがはなのめならむ」、つまり男児が誕生したのだから、その喜びは並一通りのものであるはずがなかった。

とにかくお礼を言わなければと、道長も妻の倫子も、あちこちの部屋に出入りした。

この数カ月にわたって、祈祷をしたりお経を読んだりとハードワークをこなした僧侶や医師、そして陰陽師たちに、お布施や贈り物などを与えるのにバタバタしている。思いつく限りの準備をしただけに、関係者も実に多かった。嬉しい悲鳴とは、まさにこのことだろう。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください