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「中宮彰子が皇子出産」喜ぶ道長と周囲の"温度差" 彰子のめでたい出産に喜べなかった人々も

東洋経済オンライン / 2024年9月1日 11時0分

よくぞ無事に生まれてきてくれた……そんな喜びは、子の成長を目の当たりにすると、なおいっそう強くなってくる。11月には「五十日(いか)のお祝い」が執り行われた。道長は可愛い孫の敦成親王に、すりつぶした餅を食べさせている。

はしゃぎまくる道長に呆れる妻

よほど上機嫌だったらしい。『紫式部日記』によると、道長は酔っぱらいながら、会心の出来の和歌を詠んでは、こんな軽口を叩いたという。

「私は中宮の父にふさわしく、私の娘としても中宮は恥ずかしくない。妻もまた幸運に微笑んでいるようだ。いい夫を持ったなあ、と思っていることだろう」

まったく自分で何を言っているんだか、と周囲もほほえましく思ったことだろう。だが、身内からすれば、恥ずかしくてたまらなかったらしい。妻の倫子は自画自賛する夫に呆れて、部屋から退出。道長も妻の怒りを察したのか、慌ててその後を追いかけたという。一気に酔いは醒めたのではないだろうか。

また、これは年月が経ってからの話だが、7歳になった敦成親王が三条天皇と初めて会ったときのことである。三条天皇の前で、孫がマナー作法を完璧にこなす姿をみて、道長は感動。涙まで流したという。孫バカまっしぐらだ。

待ち望んだ彰子の出産が、道長にもたらした喜びがいかに大きかったかがよく伝わってくる。

「五十日のお祝い」に話を戻すと、夫のはしゃぐ姿が痛々しいのはわかるが、何も倫子は退出までしなくてもよいのではないだろうか。

そんな気もしてしまうが、当時の状況をよく考えると、倫子の行動も理解できる。

どういうことか。それは、敦成親王の誕生によって、明るい未来が閉ざされた人もいるということだ。

実は彰子の出産に喜べなかった面々

一条天皇のもとに、娘の元子を入内させた藤原顕光もしかり。また、娘の義子を入内させた藤原公季らもしかりだ。もし、彰子が子に恵まれなければ、彼らは天皇の親戚として権勢を振るうチャンスがあった。

しかし、最高権力者である道長の娘が、一条天皇の子を生んだとなれば、後継者はほぼ決まったも同然であろう。

伊周や隆家にいたっては、妹の定子が一条天皇との間に第1皇子の敦康親王を生み、その後、さらに二人の子を成して亡くなっている。彰子が子どもさえ生まなければ……という思いはどうしてもよぎるだろう。

敦成親王が生まれてもなお、一条天皇は定子の忘れ形見である、第1皇子の敦康親王のほうを後継者としたがったが、道長がしっかりと手を打っている。藤原行成を通じて、天皇を説得。何の後ろ盾もない敦康親王に継がせても、本人はかえって不幸になりかねない……と納得させている。

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