フジテレビを辞め田中大貴アナが起業したワケ プロ野球などの実況中継しつつ会社を経営
東洋経済オンライン / 2024年9月1日 9時0分
4年の春季リーグではリーグ最多の3本塁打を打つ。プロのスカウトも注目していた。
「東京六大学は、プロに一番近い世界だということは感じていました。プロに行けるかもしれない、でもその反面、慶應は民間企業で活躍しなさいという考えも強かった。それこそ高橋由伸先輩(元巨人)のようにドラフト上位で指名されるのならプロでしょうが、そうでないのなら民間企業に行って研鑽をつむのもありだと。僕はその2軸でずっと考え続けていました。
3年生の冬に監督室に呼ばれて面談をしたのですが、当時の鬼嶋監督には神戸製鋼や三菱重工神戸に行くのはどうだ、と言われたのですが、少し考えさせてくださいと言いました。そして、たまたま翌年1月に、フジテレビの採用試験があると教えられたので、受けて内定をもらったんです。フジテレビは、野球を続ける可能性があるのなら、ギリギリまで待つとも言ってくれた」
つまり、4年生春にホームラン王になったときには、フジテレビの内定をもらっていたのだ。田中大貴氏はテレビ局的には「ドラフト1位」だったわけだ。
23歳で「とくダネ!」を担当
翌年、フジテレビに入局。
「アナウンス部に配属されて、当初は、関西弁しかしゃべれなかったし、アナウンサーになるなんてまったく思っていなかったから、相当苦労しました。正直なところ、2、3年で辞めるんじゃないかと思いました。
でも『情報プレゼンター とくダネ!』という番組で、小倉智昭さんという名司会者に出会ったのが大きかった。番組を作ってくれるディレクターがいて、プロデューサーがいて、最後はよーいどん、で他局の番組と勝負して、次の日に視聴率で数字という結果が出ると、そういうスポーツとよく似た繰り返しで、チームをビルドアップすると言うのが、僕に合っていた。僕でもできるんじゃないか、と思ったんです。23歳で『とくダネ!』を担当し始めて、10年はやろうと決めました」
そのキャリアからして当然ではあるが、田中氏は、スポーツアナウンサーとして頭角を現す。「松坂世代」という肩書も大きかったはずだが。
「野球やってました、東京六大学でプレーしていました、などを先に言うんじゃなくて、ちゃんとアナウンスメントができる人間と評価してもらったうえで『実は僕も松坂世代です』という流れを大事にしていました」
機会があれば聞きたいと思っていたのは、田中氏の実況中継のスタイルだ。他局のスポーツアナの中には「家で考えてきた“名言”を、ここぞとばかりに思いいれたっぷりにしゃべる」人もいる中で、田中氏は目の前のプレーを勘所を押さえて短く、的確に話す。引き締まった筋肉質の実況だ。そのスタイルはどこから?
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