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「音大卒の大工」家賃6万の部屋で夢見る次の一歩 古い物件をDIYで工夫、猫との日々に癒やし

東洋経済オンライン / 2024年9月3日 10時0分

そう言われれば、エアコンが稼働しているわりにはやけに暑い。真夏の西日が、外から伝わってきているのかもしれない。それも壁の薄さ故か。

「好きなことって、楽器の演奏や歌、ものづくり、猫と遊ぶこと、全部大きな音が出ることばかりなんですよ。だから常に音で近所に迷惑をかけないように気を遣います。それが窮屈ですね」

三原さんは困ったように笑って言った。

音大を卒業したが「大工」に方向転換

三原さんは洗足学園音楽大学で打楽器を専攻していた。しかし卒業後、飲食業勤務、舞台の大道具の製作業を経て大工として工務店を立ち上げたという、異色の経歴を持っている。

音楽の道を絶って、大工として独り立ちしようとするまでの転換点には、どんな出来事があったのだろうか?

「実は特にこれといった出来事は、ありません。僕は本来、自分勝手で流されやすいところがあって、わりとどうしようもない奴なんです。

音楽大学に行ったのも、浪人していた夏に乗っていたバイクの事故で、入院したことが原因。『これでは今年も受験勉強が間に合わないな』と思って、得意な音楽の道に絞って方向転換しました。

音楽がずっと好きでバンドを組んだりしていたので、とっさにその道を選んだわけです。それ以降の半年間は本気で音大対策をして、無事に合格しました」

両親は三原さんの音大入学の意志を尊重し、地元の新潟県から東京へと彼を送り出してくれた。

「そこまでしてもらったのに、大学在学中はバイトと飲み会に明け暮れて、真面目に音楽活動をしませんでしたね。同級生にはポップスやクラシックの業界でプロになろうと頑張っている人もいましたが、その頃は頭を下げて自分を売り込むことができなくて。音楽自体から逃げてしまったんです。

卒業後は飲食関連のアルバイトをしながら1年ぐらいフラフラとした後、手に職をつけようと舞台の大道具製作へ。そこから大工の業界に入ったという経緯です」

紆余曲折あって大工の道に入った三原さん。それまで取り組んだことは続かなかったのにもかかわらず、大工という仕事に腰を据えて取り組み、工務店を立ち上げるまでしたのは、なぜなのだろうか。

「ピンとくるものを感じたからです。何もないところに、自分の力でモノができたという達成感が好きなんですよ。それに人の役に立てている実感が持てるのも、嬉しいですし」

三原さん曰く、音楽と大工の仕事には共通点があるという。

「音楽は頭でイメージしたとおりに体が動かないと、上達しない。そこは大工の仕事も一緒なんです。体を使って何かを作り出すのも、演奏家と大工は似ている。今までやってきたことと地続きで取り組めるので、しっくりくるものがありました」

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