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高校2年間で300万円「伊藤蘭」に貢いだ彼の半生 進学も、就職も動かされ…63歳の今も熱烈応援!

東洋経済オンライン / 2024年9月10日 13時0分

のちにキャンディーズを社会現象にまでしてしまう立役者をデビュー以前からすでに推していたとは慧眼です。しかし、石黒さんは「推しではない」と言います。

「僕は流行りの“推し”という言葉が大嫌いなんです。自分から使ったことは一度もありませんし、これからも絶対に言いません。推しって、こちらが主体じゃないですか。あなたを推薦してあげるよっていうことで、図々しいですよね。

僕らはあくまで“応援させていただく”立場なんです。1人1人は無数にいるミジンコみたいなものであって、自分にとって唯一無二の女神を半世紀も応援させていただけるだけで感謝なんです」

高校時代に100公演以上のコンサートを追いかける

紅白歌合戦に初出場し、晴れの舞台で歌い踊るキャンディーズをテレビで見守った中学3年生の石黒少年。「これはもうコンサートへ行かなければ!」と、金沢公演のチケットを購入します。そこで観たコンサートが、石黒さんの人生を大きく塗り変えたのです。

「中学校の卒業間際に観たコンサートが圧倒的だったんです。前から3列目で迫ってくる、華やかさ、歌のうまさ、かわいさ……3人の輝きとステージングは衝撃でした。ランに見とれてぼーっとなり、それまで普通のファンだったのが、命を懸ける対象に変わった瞬間でしたね」

腕利きのバンドメンバー「MMP」を従えていたキャンディーズのコンサートは現在も多くの人がそのクオリティの高さを語り継いでいます。石黒さんもまたそのハイレベルのコンサートにハマりまくり、遂には学校をさぼってまでして、北陸以外のコンサートヘも出向くのです。

「星稜高校に入ったら同じクラスでしかも席がすぐ近くに、僕と同じく少し前に金沢公演を見た大ファンが2人いたのが大きかった。一緒に追っかけをはじめ、高1の夏から高2の終わりの後楽園のファイナルライブまでの間に100公演は行きました。

東京・関西・広島くらいまでなら普通に追っかけていましたよ。特に夏休みは『サマージャック』と銘打って、コンサートが毎日のように、全国のどこかであるんです。だから必死でついていきました。3人はたまに自分が今どこにいるのかわからなくなったぐらいだったと、解散後のインタビュー記事に書いてありましたね」

2年間で100公演の追っかけは、高校生の小遣いではとうていなしえません。そのため放課後や休日などはひたすらアルバイトにいそしみました。魚屋の配達、工事現場の肉体労働、居酒屋店内の排気ダクトの掃除などで軍資金をつくるのです。

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