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大国インドが中国のような独裁にならなかった訳 絶対的な強権支配が成立しにくかった土壌

東洋経済オンライン / 2024年9月16日 18時0分

南部のタミル人が多いタミル・ナードゥ州で強いのが、州議会で与党となっているドラヴィダ進歩同盟。当たり前と言えば当たり前ですが、ドラヴィダ系であるタミル人の民族性を尊重。宗教的にはヒンドゥー教が中心ですが地方色が強く、仏教やジャイナ教、キリスト教徒もいます。

アーリア系の人たちは「母語のヒンディー語が話せれば、インドで生きていける」というところがあるので、英語はあまり得意ではありません。しかしタミル語が母語のドラヴィダ系の人たちは、「ヒンディー語を学ぶなら、英語のほうが良くない?」と考えるのか、南部では英語教育が比較的盛んであることもあり、英語話者が相当数います。

昔ながらのインドの中心は西部、北部ですが、最近は南部にIT企業が増えて活気付いており、経済も発展しているのは、こんな影響もあるでしょう。

開放的で経済発展が続く南部では、モディ首相のインド人民党はあまり支持を広げられていません。ヒンドゥー教至上主義的な政治は、南部では受け入れられにくいのです。

インドでもう一つ重要なのは、カーストの最下層でかつては不可触民といわれた「ダリト」の人たちを中心とする政党が複数あるということ。ダリトの解放などを政策に掲げる大衆社会党などが国会に議席をもっています。

カースト最下層のダリト出身の大統領も誕生

ダリトに属する人々の数は2億人とも言われます。少なくとも千数百年以上にわたり社会の最下層で不浄とされた職業に就き、差別されてきました。

その解放運動は主として20世紀から。1920年代から弁護士としてダリト解放運動に取り組んできたアーンベードカルは、初代首相ネルーの下で法務大臣に就任し、インド憲法の起草に取り組んだ人物。彼は、インド憲法17条にダリト差別禁止条項を設けることに成功します。

また、ダリトを指定カーストとして、教育、公的雇用、議会議席の3分野において優先枠を設けました。米国のアファーマティブアクションのインド版、といったところです。このような議会での優先枠の存在が、ダリトの政党が議会で勢力を持つ一つの理由になっています。 

このような社会的改革の結果、1997年には、ついにダリト出身の大統領も生まれました。ケラーラ州出身のナラヤナン氏は、苦学の末にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学。外務省に入省して駐米大使まで務め、下院議員を経て大統領になりました。

インドの大統領は、両院の議員及び州議会議員の間接選挙によって選ばれます。政治的な実権は首相に委ねられていますが、大統領が国家元首です。

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