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チョーヤ「創業家が自ら営業」した海外事業の今 黒字化まで30年…創業家の情熱と、時代適応

東洋経済オンライン / 2024年9月16日 13時10分

1945年頃のチョーヤの醸造場。中小企業ならではの機動力を活かして、創業家自らどぶ板営業を敢行。国内外に販路を地道に広げてきた(写真:チョーヤ梅酒提供)

若者の“酒離れ”が進み酒販業界がシュリンクするなかでも、一定の出荷量を守り、梅酒の店頭シェア率でトップを独走するチョーヤ梅酒(以下、チョーヤ)。海外でも90カ国以上で愛され、さらに拡大を続けている。

【画像10枚】「そもそも梅が知られていない」…。日本よりはるかに厳しい海外市場で營業するチョーヤ

この躍進の陰には、創業家が自ら取り組んできた地道な営業活動があることをご存じだろうか? 前編、中編に続き、最後となる後編では、はじまりの物語からチョーヤの強さの秘密を探る。

1本でも2本でも、求められたら出向いた

梅酒の国内シェアNo.1、世界90カ国以上に展開するチョーヤ梅酒。現在は卸売会社を通じて小売店に卸しているが、かつては小売店1店1店に足を運び営業を行っていた。

「1本でも2本でも、購入してくださるという小売店があれば出向いていました」と語るのは、同社専務の金銅俊二氏だ。それが積もり積もって、過去には、300~400軒の卸売会社と取引をしていたこともあるそうだ。

【画像10枚】「そもそも梅が知られていない」…。日本よりはるかに厳しい海外市場を、チョーヤでは「創業家」が自ら営業して開拓してきた

海外事業も同じで、購入したいという国があれば出向く営業スタイルを貫く。効率とは無縁のため長年赤字続きで、黒字に転換したのはここ10年のことだそうだ。だが、その赤字は社内的に「やむなし」と看過されてきた。いったいなぜなのか。理由は、世界で梅酒を売ることは、創業者・金銅住太郎氏から代々受け継ぐ夢だからだ。

それと同時に、「古来健康のために食されてきた梅の文化を継承し、世界へ発信すること」というチョーヤの企業理念でもある。「ただ売る」のではなく「夢を追う」そして「文化を広める」ことに重きが置かれているのだ。

日本特有の文化を世界へ伝えたい

チョーヤの歴史は1914年、金銅住太郎氏が大阪・駒ヶ谷村(現・羽曳野市)でブドウを栽培、その後ワインの醸造と販売をはじめたのがはじまりだ。

しかしある時、住太郎氏は向学のために訪れたヨーロッパで、海外のワインの質の良さを知る。そして、「いずれ輸入が自由化されたら国内市場が占領される」と危機感をつのらせたそうだ。

その危機感はやがて、「海外生まれではなく、日本特有の文化や伝統を醸成させ、ゆくゆくは世界へ伝えたい」という夢に変わった。そうして出会ったのが梅酒だ。

1959年に製造・販売がはじめた当初は、周囲から、「田舎のワイン屋が何を」「不可能だ」と馬鹿にされたそうだが、金銅一族は文字通り梅酒を背負って海外へ売り歩いてきた。当初は、各国の空港の免税店に並べ、知名度を高める戦術から。「日系人だけでなく、地元の人に飲んでもらうプロモーションをしよう」が合言葉だった。

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