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あの「ポーター」が人気商品を大胆に変えた裏側 価格2倍にしても素材変えた吉田カバンの挑戦

東洋経済オンライン / 2024年9月20日 13時0分

ポーターが登場したのは1962年。このネーミングは、お客のカバンを預かるポーターは、本当のカバンのよさを知っていることに由来している。当時、日本のメーカーがオリジナルでブランドを作ることが珍しい時代だったが、「どういう会社が思いを持って作ったのかを伝える必要がある」という意図から、あえて自社ブランドを作ったという。

吉田カバンが初めて手がけ、その後、世の中に広まっていったものは少なくない。マチの部分にファスナーをつけ、マチを拡張させ、鞄の開閉によって容量を変えられる構造や、黒いナイロン地だけでカバンを作ったこと、面ファスナーを起用したこと、光を受けて反射する素材を用いたことなど――進取のことに果敢に挑戦してきた。「遊び心というか、冒険心を持ちながら、よりよい、使いやすいカバンを作ってきたのです」(吉田さん)。

耐性や質感を担保しながら量産も可能に

真髄にある吉田カバン“らしさ”とは何なのか。「社内だけでなく、携わっている工場や職人さんも含め、誠実に愚直に、よりよいもの作りを目ざしていく。そこに尽きると思います」。

当たり前のことと思ってしまうが、そうではない。例えば100%植物由来のナイロン素材についても、吉田カバンとしての耐性や質感を担保しながら、量産しても安定したクオリティになるよう、工場と一体となって試行錯誤を繰り返した。

あるいはジッパーの引き手に少し角度を付けると、負荷が減って開け閉めしやすくなると考え、細かい工夫を何度も重ね、満足のいくものを作り上げた。

“誠実で愚直”を土台としながら、進化するための労を惜しまない――その姿勢こそが、吉田カバンらしさなのだろう。しかもそこには、かかわる人への尊敬と感謝、仕事への誇りが感じ取れる。「お天道様が見てるから」という日本人の道徳観のようなものが見え隠れもしている。

吉田さんはまた「長く使ってもらうことで、思いがたくさん詰まっていく。そんなカバンを目指しています」という。自身も20代でイタリアに渡った時に使っていたタンカーに、その頃の嬉しさや悔しさといった記憶が宿っていて、今も愛用している。

長く使ってもらうために、製品の修理を受けているが、縫い目を丁寧にほどき、傷んだところを直し、再び縫い合わせる。新しいものを作るより手間がかかるケースもあるそうだが、欠かせない役割として続けている。「PORTER OMOTESANDO」のショップの一隅には、修理コーナーが設けられていて、職人さんが修理している様子を目の当たりにできる。

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