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3浪東京藝大「音楽諦めた」彼女の"運命の出会い" 家庭環境の変化で、一度は夢を諦めたものの…

東洋経済オンライン / 2024年9月22日 8時0分

※写真はイメージ(写真 :metamorworks / PIXTA)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は3浪で東京藝術大学・音楽学部器楽科打楽器専攻に合格した、石橋知佳さんにお話を伺いました。

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家庭の事情で一度夢を諦める

今回お話を伺った石橋さんは、幼いころから音楽が好きで、東京藝術大学に入って音楽の仕事に就くことを夢見ていました。

【写真】3浪で東京藝大に合格した石橋さん。現在の写真

ところが現役では合格を掴むことができませんでした。さらに家庭の事情で一度は夢を諦めたものの、再び夢に向かって挑戦することを決意。3浪で東京藝術大学の音楽学部器楽科打楽器専攻に合格しました。

そんな石橋さんが浪人で得たこととは何だったのでしょうか。

大阪で生まれた石橋さんは、小学校3年生のときに父親の転勤で神奈川県横浜市に引っ越しました。

「子どものころは、かなりのんびりした子どもでした。3月生まれなので、同じ学年のみんなと比べると小さかったです。ピアノに興味があったので習わせてもらったのですが、周りの子どもたちよりも楽譜を覚えるのが遅くて、先生からは簡単な教材しか渡してもらえなかったですね」

それでも、音楽が好きな祖母にピアノの発表会の話をするといつも喜んでくれていたことが、石橋さんにとって大きなモチベーションになっていたそうです。

そのため、上達は遅かったものの「一度も辞めたいとか、稽古に行きたくないとは思わなかった」と当時を振り返る石橋さん。

自然と音楽に慣れ親しんだ幼少期を送った石橋さんは、途中で転校を経験しながら、公立の小学校から中学校へと進み、吹奏楽部に入部して音楽を続けます。

成績に関しては、小学校・中学校時代は真ん中くらいか、それよりも下でしたが、あまりプレッシャーには思わなかったそうです。

「とにかくのんびりしていました。親から勉強を強制されたことは一度もなかったですし、成績が悪くても、できなくても、注意されたことはなかったので、両親に感謝しています」

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