プロペラ動力も研究「新幹線を開発した男」の人生 「兵器に関係しない」鉄道へ転じた航空技術者
東洋経済オンライン / 2024年9月26日 6時0分
今年は、1964年10月1日の東海道新幹線(東京―新大阪間)開業から60周年となる。当時の鉄道技術の粋を集めた新幹線システムの完成までには多くの人々がプロジェクトに携わった。中でも国鉄総裁として政治的な調整を一手に引き受けた十河(そごう)信二や、国鉄技師長で新幹線プロジェクトを率いた島秀雄は、「新幹線の生みの親」というべき存在である。
【貴重な写真】小田急SE車試運転車両の前に立つ三木忠直の姿などを一挙公開。「レールプレーン」構想を報じる1950年当時の新聞記事も
さらに、新幹線誕生に至る技術的な系譜の中で重要な役割を果たした人物として、三木忠直の名前も忘れてはならない。(文中敬称略)
航空・兵器の技術を鉄道へ
三木は1909(明治42)年12月15日生まれ、高松の出身である。戦時中は海軍に勤務し、陸上爆撃機「銀河」や特攻兵器「桜花」などの設計を担当した。上意下達の軍隊にあって仕方のない事情があったにせよ、特攻兵器を開発したことについて三木は、「技術者魂として恥ずべき所産」「思い興す度に胸いたむ思いがする」と、自責の念をその手記に綴っている。
【写真】新幹線の技術開発に重要な役割を果たした三木忠直。小田急「SE車」試運転車両の前に立つ姿や国鉄十河総裁ら幹部に説明する様子、「国鉄快速列車」の開発を報じる当時の記事など
戦後、三木は鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)に入所する。「自動車関係は戦車関係、船は軍艦関係といったように何らかの形で兵器に関係している。兵器に関係しないものということで鉄道へ行くことにした」(三木)。
当時の鉄研は、GHQから「航空禁止令」(航空機の研究・設計・製造を全面禁止)が出され、行き場を失っていた優秀な技術者たちを散逸させてはならないと、多くの旧陸海軍の航空技術者たちを受け入れていたのである。
三木が鉄研で取り組んだ研究テーマの1つが、飛行機の翼の代わりに車輪で支持し、プロペラ推進により走行する懸垂型モノレールの一種である「レールプレーン」だった。1920年代にフランス人のロー、イギリス人のベニーらが考案したレールプレーンは日本の雑誌でも紹介され、日本版レールプレーンを実現しようという動きもあった(1931年3月に免許申請された日本遊覧飛行鉄道。熱海―伊東―梅木平間)。
これら戦前のレールプレーン計画は、いずれも実現には至らなかったが、第二次大戦を通じて飛躍的に進歩した航空技術を応用すれば、あるいは実現可能かもしれない。三木はそのように考えたのだと思われる。
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