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自民党「空騒ぎ総裁選」で最後に笑うのは誰か? 「政治に期待できない」空気感がより強まる懸念も

東洋経済オンライン / 2024年9月26日 8時0分

今回の総裁選は、国政選挙ではないので、民意が直接反映されるものではない。しかし、こういった物語を操る能力に磨きをかければ、小泉氏のようなショーの主役になりやすい政治家は、総裁選後の選挙においても注目を獲得し、圧倒的な宣伝力を発揮するだろう。小泉氏が「できるだけ早期」の解散を明言していることは大いなる皮肉である。

メディアを通じたマインドハックは、例えネガティブな批評であっても「話題の人」として人々の興味を引き付け、その評価をめぐって議論が紛糾することも含めて、コミュニケーションが雪だるま式に膨れ上がることにこそ真の深刻さがある。そして、おそらくは、この空騒ぎの後の反動が最も懸念すべき事態を引き起こす可能性が高い。政治に何ら期待を持てないという空気感がより強まるからだ。

筆者は『山本太郎とN国党 SNSが変える民主主義』(光文社新書)において、政治に対する絶望感が広がることでポピュリズムの台頭が促されることを、2019年の参院選で国政政党に格上げされた新興政党を例に指摘したが、都知事選で元安芸高田市長の石丸伸二氏が突如躍進したように、ポピュリズム的な政治勢力が伸長するかもしれない。

ポピュリズムには2つの定義がある。1つ目は「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル」で、2つ目は「『人民』の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」だ(水島治郎『ポピュリズムとは何か』中公新書)。

れいわ新選組やNHKから国民を守る党、参政党といった政党は後者に当てはまる。具体的には、自らが「人民」を直接代表すると主張して正統化し、広く支持の獲得を試みる、「人民」重視の裏返しとしてのエリート批判、「カリスマ的リーダー」の存在、イデオロギーにおける「薄さ」にある(同上)。

石丸氏は、6月に行われた都知事選立候補者の共同記者会見の場で、「政治屋の一掃」と書かれたボードを掲げた。その真意について「私の政策、のさらに上にある掛け声です」と説明したうえで、「仕事をするふりをして、一向に成果を上げない。そんな政治屋を一掃したいと、これまでずっと考えてきました。恥を知れ恥を。これが国民の思いだと思っています」などと発言した。

ここには、自らが「人民」を直接代表する姿勢が明確に示されているほか、「政治屋の一掃」には、「人民」重視の裏返しとしてのエリート批判がうかがえる。

野党を含む既存の政党が国民にとって、自分たちの意思を蔑ろにしている存在でしかないならば、オルタナティブ(代替物)が志向されるのは論を俟たない。

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