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実は不登校の子どもにも親にも問題はありません 多様な学びを提供できない行政と大人の責任

東洋経済オンライン / 2024年9月27日 12時0分

しかし、6歳から18歳までの未成熟な人間を、彼らの希望も聞かずに勝手に40人ぐらいの教室に放り込み、同じことを同じ工程で同じ時間で身につけさせるという、養豚場のようなことを150年やって来て、もう「それは学びじゃなくて無理ゲーの訓練だよ」とされつつあります。

そして、殖産興業と富国強兵、国威発揚と大陸進出と敗戦国家と高度成長とその終焉を経て、「サンセット・ジャパン」となりつつある今、次のようなことが、多くの人たちの認識となってしまいました。

「こんなやり方をいつまで続けるのですか?」

私は、これこそが数十万もの「学校に行かない」とした子どもたち、そしてそれでも耐えながら無理をして行っている「苦」登校の子どもたちのメッセージだと確信しています。

学力とは「苦行への耐性」への評価?

1960年代末に学校に入って、もう半世紀以上を学校で生きてきた私には、そうとしか思えないのです。

もうこのシステムでは、子どもたちはどんどん「学び」が嫌いになっていきます。もはや学力というものに含まれるのは、相当量の「苦行への耐性」です。名門大学に入学した者は「その程度の耐性があるのだな」と評価されているのかもしれません。

そして、「効率的情報処理」と「社会権力をもつ者への忖度」の技術を習得することに関心がない「学びたい」者たちは、「ドキドキしながら、時間を気にせず、好きなことを、好きなようにトライして確かめて、何かを発見する」ステージと時間を用意されない限り、楽しく生活するエリアも時間帯も見出せません。

学校に行って校庭で同じ体操服を着せられて、真冬にジャケットを羽織ることも禁じられて、「前にナラえ!」と言われる理由がもはやわからないのです。

そもそもが、老若男女が共通してもつ大きな社会目標、時代的苦難や、国民的希望などがない時代に、人は「国家社会の発展のために技術と知識を効率的に短期間に身につけさせる訓練」をさせられ続けることなどできないのです。

頑張らないと西欧列強に植民地にされる、資源のない島国が生き延びるためにはアジア隣国を活用する、焦土と化した国土を復興させるなど、大きな共通目標がないのが21世紀のニッポンです。

educateとは「外に引き出す」が原義

グローバル経済が、20世紀型の生産業と洪水のような輸出貿易と為替の差額で稼ぐモデルを無効にさせた後、明治以来「自分たちはどのような役割を果たして世界に貢献できるのだろう?」と、ただの一度もちゃんと議論をしたことがない私たちの国の人間は、同時に「40人が教室に放り込まれて同じことを覚えさせられる」理由もわからないのです。

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