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延べ880万人、日本一のお写経道場に託された思い 薬師寺は般若心経のお写経を広める役割を果たしてきた

東洋経済オンライン / 2024年9月30日 11時0分

薬師寺の境内の中にある「お写経道場」(筆者撮影)

国宝「東塔」を擁する、創建約1300年の歴史を誇る薬師寺。奈良市の世界遺産にも数えられる名刹だが、ここが“日本一のお写経道場”である――ということは、意外と世間に知られていない。

【約270文字の般若心経】煩悩を無いと否定するのではなく、それを乗り越えたところに素晴らしい世界が広がっていると説く

薬師寺は、享禄元年(1528年)に焼失した金堂を再建するために、昭和43年から高田好胤管主(当時)がお写経による伽藍(金堂)復興・勧進を始めたという背景を持つ。

昭和47年には、一度に100人がお写経を体験できる日本最大のお写経道場が完成し(昭和50年には、薬師寺東京別院のお写経道場が完成)、その後、「お写経勧進」によって金堂や西塔などが再建。「白鳳伽藍(はくほうがらん)」も復興するに至る。

お写経目的に薬師寺を訪れる人

現在、お写経は祈願成就や亡き人への供養、心の安定など、さまざまな目的で行われる。今では全国各地でお写経をすることができるが、薬師寺の「お写経勧進」を機に、般若心経のお写経は全国的に広まったとされる。お写経目的のためだけに薬師寺を訪れる人も多く、「日本一のお写経道場」の異名は伊達ではない。

お写経はその名の通り、お経を書き写すことだ。仏教の教えを広めるために、お写経は伝達方法として欠かせないものとなり、ここ日本では仏教の隆盛とともに、すでに奈良時代には官営のお写経所が設けられ、お写経生と呼ばれる専門職人が行っていたそうだ。

17歳のとき、高田好胤管長に師事し、薬師寺の僧侶となった薬師寺執事長・大谷徹奘(てつじょう)さんが説明する。

「町でお寺を見かけたら何を思い出しますか? と聞くと、6割くらいの方がお墓と答えられます。お坊さんのイメージを聞くと、葬式を連想される方も多い。しかし、薬師寺はお墓を持たず、お坊さん自身も一切葬儀に触れることはありません。その厳しさから、ともに修行している仲間のお坊さんが亡くなっても葬儀のためのお経をあげないというのが、薬師寺の伝統なのです」(大谷さん、以下同)

仏教が伝来した6世紀、国家事業だった仏教は学問として機能していたため、寺は一般民衆とは密接な関係を持っていなかった。東大寺や薬師寺といった奈良時代に建立された寺院に墓がないのは、そうした側面を持つからでもある。

時代が下り、平安、鎌倉時代になると民衆に膾炙していくようになるが、本格的に葬儀といった考え方が根付くのは江戸時代前期からとなる。

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