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「地面師たち」ハリソン山中にこうも魅了される訳 極めて反社会的な男が語る、所有欲の愚かさとは?

東洋経済オンライン / 2024年10月5日 12時0分

トルストイの民話に「人にはどれほどの土地がいるか」という恐ろしい寓話がある。農民である主人公のパホームは、妻たちの会話に触発され、「地面」に取り憑かれるようになる。暖炉の後ろにいた「一疋(ぴき)の悪魔」がパホームの心の内を見抜き、《ひとつおまえと勝負してやろう。おれがおまえに地面をどっさりやろう――地面でおまえをとりこにしてやろう》と悪だくみの標的にされるのだ。彼は、いろいろな人々を介して、最終的にパキシール人の村にたどり着く。そこでは、広大な土地が格安で手に入ると聞いたからであった。

パキシール人の村長は、開口一番「よろしゅうございます。どうかお気に入ったところをお取り下さい――地面はいくらでもありますから」と耳を疑うような提案をする。なんと1日かけて歩いた足跡で囲った土地を「千リーブリ」均一で売るというのである。ただし、日が沈むまでに出発点に戻らなければ“ふい”になってしまう。これが村長の説明したルールだが、パホームは狂喜する。結局のところ、それが彼自身の破滅を招くというブラックユーモアで締めくくられている(以上、『トルストイ民話集 イワンのばか』中村白葉訳、岩波文庫)。

ハリソンはこの民話に登場する悪魔によく似ている。と同時に「好きなだけ土地をやる」と豪語する風変わりな村長でもある(民話では、中盤にパホームを導く人々がすべて「一疋の悪魔」の化身であったであろうことが種明かしされている)。

このような多数の人物が入れ替わり立ち替わりでパホームを地獄へと引きずり込む手の込んだ仕掛けは、あまりにも地面師詐欺的ではないだろうか。何かを必要以上に所有したいという見果てぬ夢の先には災厄が待ちかまえているのだ。

そもそも、文化人類学的にいえば、何かを持つ、所有することはとてもリスキーなことなのだ。経済学者のジャック・アタリは、『所有の歴史』(山内昶訳、法政大学出版局)で、モノや土地の集積に対する執着は、多くの古代社会で災いをもたらすとされていると指摘した。とりわけ「自分で作ったものではない財の占有は、危険となる」と。

どの物も、それを創りだした人の生命をふくんでいるのだから、自分で作ったものではない財の占有は、危険となる。当然に必要なもの以上のものを持ち、宇宙の均衡を破壊し、モノに攻撃される怖れが生じてくるからだ。モースは書いている。「あるモノの取込みは生死にかかわるほど危険である[……] 。というのも、たんに道徳的にだけではなく、身体的、精神的にもある人格から生じたこのモノ、この精髄、この食糧、この動産ないし不動産、この祭式ないし交感は、あなたのうえに呪術的、宗教的効力をおよぼすからである。」

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