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宮中ご意見番「藤原実資」思わず涙した彰子の言葉 道長など時の権力者にも躊躇なく物申した実資

東洋経済オンライン / 2024年10月6日 14時0分

藤原実資ゆかりの清水寺(写真: ゆうた1127 / PIXTA)

NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第39回は、宮廷社会のご意見番でもある藤原実資の意外な一面を紹介する。

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異様な宮廷社会をつぶさに描写した

平安時代の宮廷社会における「ご意見番」といったところだろうか。NHK大河ドラマ『光る君へ』では、ロバート秋山が演じて話題になっている公卿の藤原実資のことである。

【写真】定子出産の行啓の際に、宇治遊覧にでかけた道長。写真は宇治の風景

実資といえば、朝廷で起きた出来事を詳細に書き記した日記『小右記』の作者として知られている。21歳から84歳まで63年間にわたり、この日記をつけたというから、マメな性格だったのだろう。

日記では、一条天皇や藤原道長など時の権力者の振る舞いについても「おかしい」と思ったことは、躊躇なく違和感をぶつけている。平安時代の日記は、記録として誰かに読まれることを前提として書かれている。実資の大胆な筆致には、驚かされるばかりだ。

例えば、道長の兄・藤原道隆が父・兼家の跡を継いで、摂政・関白についた頃のことである。このときすでに「中宮」と呼ばれる人物が3人もいたにもかかわらず、道隆は円融上皇の中宮・遵子を皇后にしたうえで、自分の娘・定子を一条天皇の中宮にした。

道隆の強引なやり方に、実資は正暦元(990)年9月27日付の日記に「驚き奇(あや)しむこと少なからず」と書いて呆れている。

3日後の30日付の日記には「皇后4人の例は、今まで聞いたことがない(皇后四人の例、往古聞かざる事也)」とも書いた。この異様さを後世に残しておかねば、という実資の強い意志が伝わってくる。

道長にも恐れずに命に逆らった

実資がとりわけ嫌ったのが「前例にないことをする」ということだ。長保元(999)年、道長の娘・彰子が12歳で入内したときにも、実資の「物言い」が発動する。

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