宮中ご意見番「藤原実資」思わず涙した彰子の言葉 道長など時の権力者にも躊躇なく物申した実資
東洋経済オンライン / 2024年10月6日 14時0分
このとき、道長は自身の日記に「四尺屛風和歌令人々読」と記すように、4尺の屏風に和歌を集めて、入内する彰子に持たせようと考えた。幼少期から学問を好んだ博識な一条天皇の気を引こうというわけだ。
人気絵師の飛鳥部常則(あすかべのつねのり)に屏風絵を描かせると、選りすぐりの歌人が詠んだ和歌を、名書家の藤原行成が書いてその屏風に貼る……というビッグプロジェクトである。歌人には、藤原公任、藤原高遠、藤原斉信、源俊賢らのほか、「詠み人知らず」というかたちで、花山法皇までが加わった。
だが、実資は道長から再三依頼されても、和歌を献上することを拒んだ。「大臣の命で歌を作るなど前代未聞」というのが実資の理屈である。同年10月23日の日記に「公卿の役は、荷担ぎや水汲みに及ぶのか(上達部の役、荷汲に及ぶべきか)」と不満をぶつけた。
その怒りは、道長だけではなく、取りまとめ役の俊賢にも向けられたようだ。後年に「貪欲、謀略その聞こえ高き人」(寛弘8〔1011〕年7月26日)と、権力者におもねる俊賢のスタンスを批判している。
彰子がらみの重要なイベントということでいえば、正暦元(990)年12月、彰子が3歳になったときの「着袴の儀」も実資は欠席している。
何か思うところがあったかと思いきや、そうではなかった。単に連絡の行き違いがあったようで、翌日、道長が不快感を持っていたと耳にして、実資は慌てて謝罪に行っている。
数年前のこととはいえ、そんな経緯があれば、道長からの依頼は少しくらい意に沿わなくても受けてしまいそうだが、「それはそれ、これはこれ」と切り離して考えるのが、なんとも実資らしい。
前例のないことといえば、中宮の定子のことを、一条天皇が寵愛し続けることにも、実資は物申さずにはいられなかった。というのも、定子は兄・伊周の不祥事の責任をとり、すでに出家した身だったからだ。
一条天皇の働きかけで、定子が職曹司(しきのぞうし)に移ると、実資は長徳3(997)年6月22日付の日記に「今夜、中宮は、職曹司に参られた。宮中の人々はよくは思わなかった(今夜、中宮、職曹司に参り給ふ。天下、甘心せず)」と不穏な雰囲気を表現。
同日の日記に「中関白家の人々は、中宮定子は出家していないと主張している(彼の宮の人々、出家し給はざるを称す)」と記し、強引に中関白家が定子の出家をなかったことにしようとしていると暴露した。
そんな定子が長保元(999)年11月7日、一条天皇との間に第一皇子(敦康親王)を産むと、世間はさらにざわつくことになる。実資は同年同日の日記に「世に横川の皮仙と云う(世に云はく、横川の皮仙と)」と記録している。
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