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宮中ご意見番「藤原実資」思わず涙した彰子の言葉 道長など時の権力者にも躊躇なく物申した実資

東洋経済オンライン / 2024年10月6日 14時0分

「横川の皮仙」とは比叡山横川の僧・行円の呼び名である。行円が、比叡山の横川でつねに鹿の皮衣をまとってちまたで庶民に教えを説いたことから、「出家らしからぬ出家」という意味で、定子の状況に皮肉を言っているのだ。世間の声としながらも、実資も同意するところだったのだろう。実資が言い出して広まったのではないか、という気もしなくはないが……。

「是々非々」のスタンスを貫く

その一方で、定子が第2子出産のため、職曹司から出御したときには、やや意外なスタンスをとっている。

行啓当日に道長は、人々を引き連れて宇治遊覧に出かけた。定子の懐妊を盛り上がらせないために、道長があえてやったことに違いないが、実資はこの道長の行動を批判。「行啓を妨害しているようなものだ(行啓の事を妨ぐるに似る)」と憤慨している。

すでに出家したはずの定子に対する、異例ずくめの一条天皇の振る舞いには思うところがあるが、それでも行啓を妨害するのは間違っている……とし、ほかの多くの公卿のように、道長におもねることはなかった。

「是是非非」のスタンスで、良いことは良いとして賛成し、悪いことは悪いとして反対する。そんな実資だからこそ、周囲も一目を置いたのだろう。

だが、そんな実資が人前をはばからず、涙したことがあった。

長和元(1012)年5月、彰子が亡き一条天皇のために、法華八講を行ったときのことだ。

実資の涙を誘った彰子の言葉

数日かけて営まれる大掛かりな法会だったが、実資は欠かさず参加。彰子はそんな実資に感謝の言葉を伝えた。

「お追従をしない実資が、八講に日々来訪してくれて、大変悦びに思う」

(八講の間の日々の来訪悦び思ふ所。なかんずく本より所々に追従せず。而も日々の来訪、極めて悦び思ふ所)

彰子のメッセージを実資に伝えたのは、取り次ぎ役の紫式部だったようだ。

さらに彰子から「故院の一周忌が終わって、部屋の室礼が喪中から日常に変わったことがしっくりせず、ものさびしい」などの言葉が伝えられると、実資も一条天皇のことを思い出したのだろう。

「落涙、禁じ難し。女房の見る所を憚らず、時々、涙を拭ふ」と自ら記すように、実資はほかの女房たちがいる前で、涙を流したという。

翌年、実資はその慎ましさから彰子のことを「賢后」と日記で評した。長く宮廷社会に身を置いて舌鋒鋭く批評してきた実資だけに、称賛の言葉にも真実味を感じる。

【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
源顕兼編、伊東玉美訳『古事談』 (ちくま学芸文庫)
桑原博史解説『新潮日本古典集成〈新装版〉 無名草子』 (新潮社)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
倉本一宏『藤原伊周・隆家』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸:著述家

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