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会社員なら知るべき「人数」が超重要な科学的根拠 人間関係の根底にある「ダンバー数」のすごさ

東洋経済オンライン / 2024年10月10日 11時30分

原理主義キリスト教派アナバプティストの流れを汲むこれらの人々は、前者がおもにノースダコタ州とサウスダコタ州、後者が主にペンシルベニア州でいずれも農業や酪農を営んで暮らす。

彼らの昔ながらの生活様式、19世紀さながらの衣服、古めかしい言葉づかい、近代テクノロジーの拒絶(アーミッシュは自動車に乗らないし、ラジオを聴くことすらない)は外部の人の微苦笑を誘う。

だが、彼らは規模にかかわる非常に今日的な教訓を提供してくれる。

民主的なコミュニティを150人に維持すれば、法律、規制、階層、警察などが不在でも、対面の対話によって商売上の取決めや社会問題に対処できると確信しているのだ。

誰もが全員を知っているので、みなコミュニティ全体に対する義務感を負っている。共同体であるという感覚を保つため、コミュニティが大きくなりそうなときは分割し、近くに新たな娘農場を設立する。

ここ100年で、フッター派コミュニティが分割されたときの規模は平均で167人だった。

分割時にこれほど上限を超えているのは、コミュニティの規模が150人を超えている期間があまり長くてはいけないという条件と、50人前後と150人前後に分割できるほどには大きいという条件とのあいだで折り合いをつけねばならないからだ。

なぜなら、50人前後や150人前後のコミュニティに比べて、100人前後のコミュニティは安定性が低く、すぐに分裂するからだ。

中間の人数では何かがうまくいかず、コミュニティ内の人間関係が不安定になり、早すぎる2度目の分割につながるようだ。

会衆が150人を超えた教会が抱える問題

伝統的なキリスト教派でも同様の傾向が報告されている。ここ20年にわたって行われた広範な研究によると、教会の会衆が150人の上限を超えると問題が起きるという。

信徒たちの信仰心が冷めて、1人当たりの献金額が減り、教会が自分たちのニーズに応えていないと感じはじめる。一方の牧師も会衆全員を知るのは難しいと感じ、個々の人の期待に応えられない。

これを解決するには、会衆を分割して別の場所に娘教会を設立するか、牧師の数を増やして会衆の小グループごとに専任牧師にするなどの方法がある。これで正式ではないにしても管理構造ができ上がる。

いずれにしても、1人の牧師や司祭が効果的に対処できるのは150人以下の会衆であり、この規模のコミュニティは大規模なコミュニティに比べて不安定な関係に悪影響を受けにくいという不文律があるようだ。

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