小田急「都内の要衝」喜多見、知られざる駅の裏側 車庫・乗務所のほか、運行に不可欠な職場が集中
東洋経済オンライン / 2024年10月10日 7時5分
小田急沿線で育った遊佐管区長は「子供のころ見た『白いボディに青いラインの電車』」に憧れて入社したという。1987年に町田駅からキャリアをスタートした。本社勤務では子育て応援マスコットキャラクター「もころん」の企画にも携わった。
地名について世田谷区ホームページは「木田見(後に北見、喜多見となる)の地名が歴史上に見られるのは、文永11年(1274)の古文書ですが、江戸氏の一族木田見氏が、すでに世田谷のこの地方を分領して居を構えていたとされています。(中略)この木田見氏は初め江戸氏とも名乗っていましたが、のち徳川家康が江戸に入場するに及んで名を木田見、北見、そして喜多見に変えたということです」と解説している。
喜多見駅はかつて、一大ターミナルに発展する可能性があった。地下鉄千代田線は昭和30年代の計画当初、起点を喜多見としていた。『小田急五十年史』によると、想定された仮ルートは「原宿から駒場付近を走り、若林付近から世田谷通りの下を通り、東宝撮影所付近で地上に出て喜多見駅に至るもの」だったという。この計画は形を変え、現在の複々線につながっている。
また、新百合ヶ丘駅から分岐して多摩ニュータウンへ延びる小田急多摩線も、当初は喜多見駅を起点とする予定だった。実際に小田急は1964年、喜多見から当時計画中だった多摩ニュータウンを経て、神奈川県の城山町(現在の相模原市)までの路線免許を申請している。
喜多見駅を起点とする地下鉄が開通すれば「多摩新線の都心直通運転が可能」(『小田急五十年史』)になるという狙いだったが、京王電鉄の計画路線(現在の相模原線)と競合することや、多摩川に新たな橋を架ける必要があることなどから計画を変更。喜多見駅は乗換駅として変貌することなく、静かな住宅街の駅のまま現在に至っている。
どんな利用者が多い?
成城学園前管区の幸内圭副駅長は駅の特徴を「国本の生徒さんや、ウチの社員の利用がとくに目立ちます。徒歩10分くらいのところには懐かしい雰囲気の銭湯もあります」と話す。相模原市出身の幸内副駅長も「小さいころに親に連れられて相模大野で電車を眺めていた」ことが現在の仕事につながったようだ。
喜多見駅は始発から朝6時30分までは駅員を配置しておらず、駅務機器やエレベーターの始動などは成城学園前駅から遠隔操作をしている。
小田急の乗務所は喜多見、大野、海老名、足柄の4カ所。もとは経堂に車両基地や、乗務所の前身の電車区・車掌区など各施設が集まっていたが、1994年に喜多見に移転した。2000年まで向ヶ丘遊園―向ヶ丘遊園正門間で営業していたモノレールの運転士は喜多見電車区の所属だった。
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