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娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで

東洋経済オンライン / 2024年10月14日 10時20分

ムッチャンは、この約1年前の1998年9月に20歳で亡くなっている。ムッチャンは生後間もない乳幼児が罹る胆道閉鎖症という病気を患っており、主治医からは成人になることは難しいと言われていた。

T医師が44歳のときに生まれた子。20年間ずっと見守ってきた自分の娘は闘病を終え、そして一周忌を迎える直前に夢に出てきてくれた。このことを書き留めなければと起きてすぐに筆をとった熱が、日付けに続く「アケ方」にのぞく。

この日からT医師の暮らしに、ムッチャンに向けて日記をつづる日課が加わった。

当時のT医師は66歳。都会の郊外に構える一軒家で妻と次女、大型犬のモモとゴンと暮らしていた。長男はすでに家を出ており、次女も手がかからない年齢になっている。

朝にモモとゴンを散歩に連れていき、勤務先には自転車で向かう。休日も仲間と囲碁を打ち、家族で旅行やクラシックの演奏会にもよく出かける。お酒は好物だが、タバコは吸わない。高齢者とカテゴライズされる年齢になってもなお、心身ともに健康で充実した日々を送っていたことが日記から読み取れる。

それでもふとした瞬間にムッチャンを喪失した事実が心をかすめる。最初に飼ったモモはムッチャンとの付き合いも長かった。そのモモの眼差しにムッチャンが元気だった頃を思い出し、「ムッチャン」と話しかけてはモモの反応をみて感じ入ったりした。その思いが唐突にこぼれる日記も残している。

<生きてる人に会いたくない
 死んでいる人に会いたい。
 なぜって
 生きている人には
 いつでも会えるから
 '00 2.6(日)>

引っ越しをきっかけに形見のスケッチが頻出

半年後にレポート用紙を使い切ると、2冊目からはコクヨのA4キャンパスノートを使うようになった。2冊目の表紙には「日記(Mへの)」とわざわざ書いている。日々の暮らしや考えていることをムッチャンに伝えるための日記というコンセプトだ。墓前や仏壇の前で故人に語りかけるのに近い感覚だったのかもしれない。

その日記にさまざまな形見を繰り返しスケッチするようになったのは、6~7冊目にあたる2001年頃のこと。背景には20年ぶりの引っ越しがあるようだ。家を丸ごと移すとなると、物置や自部屋の押し入ればかりでなく、亡くなってから一度も触れずにいたムッチャンの部屋の扉も開けなければならなくなる。そして、封印されていたさまざまな形見と改めて対面することとなった。

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