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娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで

東洋経済オンライン / 2024年10月14日 10時20分

<1.11(月)pm8.00
 オヤジの命日!
 あの時、コタツにねたままいびきをかきて死んでしまった
 オヤジをよく覚えています。
 そのあとリヤカーで火葬場へきったのに×× 2Fからおーと見られて
 この日には××○○兄がTelをよこすので
 今だに不思議に思います。その兄も今はなし。>

88歳の誕生日を迎える直前には、若い頃からの友人の訃報が届いた。

<2.22月)pm8.10
 ○○涙 2.1(月)
 よく生きてくれました。
 満身創痍の若い頃から
 よく今迄、立派です。
 いろいろあって、今は何も浮かびませんが、
 なにしろ、素晴らしいつき合いをしてくれて
 很感謝!!
 でも淋しい! 一人、一人、俺より先に!!
 残った俺は! たった一人で下らないこの世をみつめる?


 いや俺は、生きてる限り 自然と生き物をみつめるぞ!!>

そして最後の28冊目に突入する。2021年7月、長男に車を出してもらい、夫婦で新型コロナのワクチン接種会場に赴いたことなどが淡々と記されている。

最後の日記はその2カ月後のものだった。数日分の出来事をまとめて書いた簡素なものだった。

<9.12(日)pm8.30
 お母さんの退院祝いということで 感謝
 (略)
 9.13(月)お母さんの足の傷 日ごとによくなっています。
 9.14(火)は一人でチューハイを呑みました。
 9.15(水)pm9.00 のみすぎてヒル近く迄ねてました一日ロクなことなし
 介護の書類もそのまま 明日に延期 夕 サンポ(略)>

その後のT医師のことは、志良堂さんに日記群を寄贈した次女のAさんから教えてもらった。

9月16日、Sさんの退院祝いで子どもたちが家に集まって寿司を食べたという。飲酒の影響か、階段の下で動けなくなったT医師を長男が2階まで運んで寝かせている。

翌朝になっても降りてこないT医師をSさんは心配したが、退院したばかりで2階に上がれる体調ではなかったので様子を見ることはできなかった。2日後の日曜日、電話で相談を受けたAさんが2階に上がると、自室の床に倒れているT医師がいた。意識はあったが、「今日が日曜日だと言うと驚いていた」という。

このやりとりがAさんとT医師との最後の会話となった。その日は大事はなかったが、2日後の9月21日、Sさんの介護スタッフが2階で再び倒れているT医師を発見。救急車で運ばれた先の病院で死亡が確認された。

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