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嫌われ養鶏所→人気観光地に「たまご街道」の軌跡 地域住民と共生するためにやってきたこと

東洋経済オンライン / 2024年10月20日 12時30分

「昭和45年に母が結婚して養鶏場に入った時には周囲は養鶏場ばかりで、民家は少なかったと聞いています。ところがその後、養鶏場の移転、宅地の造成が急速に進んで周囲から厳しい声が出るように。当時この地域に住宅を購入した人たちは不動産会社からは5年くらいで養鶏場は移転すると聞かされており、入居5年くらい経った頃に『なぜ、移転しないんだ』と詰め寄られました」と昔の味たまご農場の田中亮さん。

地域住民とは敵対せず、共生を模索

不動産会社が周囲に養鶏場があることや、養鶏場には臭い、ハエの発生などがつきものであることを説明せず、逆に養鶏場の移転という根も葉もないウソをついて住宅を販売したわけである。それを信じた人たちからすると、養鶏場は自分たちの住環境を脅かす存在でしかない。

こうしたトラブルは麻溝台に限らず、これまでもさまざまな地域で起きてきた。工場地帯が宅地化し、工場が移転を迫られたり、農地の宅地化では肥料散布や水田のカエルの声や土埃にクレームがついたりと、数限りない事例がある。

以前からそこで工場、農業などをしてきた側からすると理不尽な話だが、居住者の数は年々増えるのに対して事業者が増えることはない。数でも、声の大きさでも事業者側は圧倒的に不利なわけで、それが感情的な対立に発展することも少なくない。

だが、麻溝台がほかと違うのは地域住民と敵対しても未来はないと考え、時として暴力的な言葉に耐えながら共存共栄を模索し、今もその努力を続けていることだ。

まず取り組んだのはできるだけ周囲に迷惑をかけない環境作り。

「臭い、虫、音その他をできるだけ減らす努力を続けてきました。例えば鶏に与える餌は消化吸収のいい発酵飼料に変えることで排泄物が臭わなくなります。飼料を変えるなどに加え、養鶏場への理解を深めていただく努力を続けるなどしてきた結果、ここ何年かはクレームを受けなくなりました」というのは、「スイートエッグ」を運営する小川フェニックスの久木田幸城さんだ。

同社では地域との接点を作り、理解してもらおうといろいろな形で卵を食べてもらう努力を続けてきた。20年前に卵直売所をスタートし、取れたて野菜を置くようになり、続いてプリンを作って販売。今ではカフェも週末ランチ時は入れないほどの人気になっている。

「近くの小学生を職業体験で受け入れてもおり、子どもたちの考えたメニュー6種類を店で出したことも。そうした子どもたちがバイトに応募してくれる日を妄想しています」

卵を購入した客に年間300通の手紙

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