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「憎悪」と「嫉妬」は、どちらが"よりネガティブ"か 「プラスの効果」がまったく期待できない感情

東洋経済オンライン / 2024年10月23日 16時0分

「あっ、また怒ってしまった」と思った時点で、もう一度本当に自分が正しいのか、再検討する余地があると考えてください。およそ物事は、ある一定の条件でしか成立していません。怒りに翻弄されたくなかったら、この考え方を頭にたたき込んでおいたほうがいいでしょう。

ちなみに、当座の怒りを鎮めるには、怒りの相手から物理的に離れることをおすすめします。また、立っているのではなく、床に直接座ってしまうことが効果的です(椅子よりはるかに効果的)。

苦しい嫉妬は、錯覚が生んだ感情にすぎない

怒りと同じく、嫉妬にも人間は煩わされるものです。憧れや羨望なら、「あんなふうになりたい。なれればいいのにな」で終わります。

一方、嫉妬が生まれるのは、「本来、自分が持つはずだったものを人が持っている」と勘違いしたときです。本当は、自分がそうなるべきだった状況を他人に奪われた。そう錯覚するから激するのです。嫉妬の根っこにあるのは所有欲であり、「自分のもののはずなのに、不当にも奪われている」感覚です。

たとえば、ほとんどの会社員は、スティーブ・ジョブズや孫正義には嫉妬しないでしょう。また、いくら野球が好きでも、大谷翔平に嫉妬する人はいないはずです。

普通の人間は彼らと同じ土俵にいないので、憧れはあったとしても嫉妬にはなりません。交際相手が「自分に向けるべき愛情」を人に向けていると思うから、また競争相手が「自分が得るはずだったポスト」に先についたから、嫉妬するわけです。

もし出世競争で負けても、相手を真のライバルだと思っていたら、そこには尊敬があるので嫉妬の対象にはなりません。自分もさらに精進しようと思うだけです。嫉妬は、感情の中でもっともプラスの作用を生まないものです。

ある意味、憎悪より性質が悪いのが嫉妬

憧れや羨望は「自分もあの人のようになりたい」となり、能動的な行動につながる場合があります。しかし嫉妬は、「不当にも奪われている」という感覚で止まってしまい、能動的な行動になりません。ある意味、憎悪より性質(たち)が悪いと言えるでしょう。

憎悪は人を行動に駆り立てるモチベーションになり、場合によってはいい結果をもたらすかもしれませんが、嫉妬は人を疲弊させるだけです。そこからリアクションしても、プラス効果はまったく期待できません。

嫉妬に飲み込まれているときには、そこに、「勘違いした所有欲」があると気づく必要があります。そうしないと、嫉妬から解放されることはありません。誰かに嫉妬したときは、その状況が本当に不当なのかと考えてみてください。たいていの場合は、実力どおりのことが起きているだけです。

「そのポストには自分がふさわしい」と考えていたかもしれないが、人事課はそうではなかった。「彼女は自分を好きになるべきだ」と思っていたかもしれないが、彼女自身は別の相手のほうがよかった。

本人は不当だと思っていても、冷静に見てみれば不当でもない。自分の認識自体に錯覚があっただけ。嫉妬から解放されるには、それが理解できるかどうかです。

そこに気づけば、嫉妬は無駄な感情だと一発でわかります。これが嫉妬の呪縛から逃れる第一歩です。

南 直哉:禅僧

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