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青山に潜む"築50年の秘密基地"今も衰えぬ人気 圧倒される中庭と内部、都会の静かな仕事場

東洋経済オンライン / 2024年10月26日 8時0分

印象的な外観に、ホテルのような共用部。ここにはどのような歴史があり、どんな人々が暮らしてきたのだろうか。

ビラ・モデルナは、「ビラシリーズ」と呼ばれるヴィンテージマンションの1つだ。東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に、渋谷区神宮前に第1号となる「ビラ・ビアンカ」が建てられ、その後、シリーズとして続いていく。今回取材したビラ・モデルナはその6番目にあたる。

ビラシリーズを世に送り出したのが、興和商事株式会社の創業者、石田鑑三さん(1927~2008)だ。1950年に興和商事を設立し、建築や不動産の分野に裾野を広げた。

石田さんは「建て主」として、つねに最高の設計者を探し、家づくりに最新の素材や設備を取り入れたという。時には海外に視察に行き、そこで得たアイデアを建築家に伝え、ほかと一線を画す、デザイン性の高い住宅を多数生み出した。

「石田は設計の勉強をしていないのに、図面を書いてしまう。それを建築家に渡して依頼していました。本人にイメージやアイデアがしっかりある分、設計は大変だったと思います」(新槇さん)

東京オリンピックの10年後、1974年にビラ・モデルナが竣工。設計は、近代建築の巨匠のル・コルビュジエに師事した坂倉準三さんの事務所、坂倉建築研究所が担当した。

都心の仕事場としての利用をイメージ

ビラ・モデルナは、表参道駅と原宿駅、渋谷駅の間の渋谷区渋谷の地に立つ。竣工当時、すでに国鉄の山手線や地下鉄銀座線、東横線などの鉄道網が充実し、界隈はビジネスの拠点でもあった。

当時、興和商事が制作したパンフレットでは、ビラモデルナについて「個人と社会の接点“パブリック・スペース”」と表現している。

自宅以外の仕事場として、都内への出張での利用など、借り手の目的はさまざま。食事を摂ってお風呂に入り、眠る住宅ではなく、ビラ・モデルナは都心の小さな仕事場という存在なのだ。スムーズなビジネスのためのきめ細かな住空間と、パブリック・スペースとして十分な機能を持つ中庭とロビーがつくられた。

それを踏まえ、部屋の内部に話を戻そう。

ビラ・モデルナは中庭を囲むように住棟が立つ。向かって右側の外側に向いたA棟と、中庭に面するB棟、C棟からなる。A ・B棟とC棟にはブリッジがかかり、行き来できる構造だ。

ビラ・モデルナの1戸あたりの占有面積は12~36㎡ほどだ。見学したモデルルームには、作業机や丸テーブル、チェアが置かれていた。作業や打ち合わせを行う仕事場として、十分な広さがあった。ちなみに、共用部のロビーや中庭も打ち合わせや商談で利用できる。

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