意外と驚かれた「ベネトン」が日本撤退に至るまで 80年代に一世を風靡したブランドの栄枯盛衰
東洋経済オンライン / 2024年10月30日 9時40分
1980〜1990年代に日本でも一世を風靡したイタリア発のファッションブランド「ユナイテッド カラーズ オブ ベネトン」(以下ベネトン)が日本市場から撤退する。
ベネトンは、社会問題に斬り込んだセンセーショナルな広告キャンペーンも話題となった
バブル期にジョルジオ・アルマーニがイタリアの"モードの帝王"だったとすれば、ベネトンはイタリアの"カジュアルの帝王"だった。そんな日本でも人気だったベネトンは、なぜ日本市場から撤退するに至ったのだろうか?
2000年に表参道にグローバル旗艦店
ベネトンの日本法人、ベネトン ジャパンが、東京・表参道にグローバル旗艦店をオープンしたのは2000年12月のこと。地下1階〜地上2階の3フロア構成で、店舗面積は1000平方メートルを超える日本初の大型店で、表参道エリアに欧米のトップメゾン、アパレル企業が大型の旗艦店を作る先駆けとなった。
1986年にベネトングループS.p.Aに入社し、1987年にベネトン ジャパンの設立と同時に社長に就任した遠藤嶂(たかし)氏の2000年の講演録(出典:イタリア研究会)によると、イタリア本社の1999年12月期の売上高は2130億円で、純利益が180億円。世界120カ国7000店舗で展開しており、年間の生産数量は1億点だったという。日本では400店舗ほどの展開で、国別の売上構成比で5%ほど(約106億円)だった。
1店舗あたりの売上高が少なく感じるが、同社は全世界でフランチャイズによる店舗運営、代理店を使った販売(代理店経由の卸の小売店販売を含む)をしており、同社の売上高は自社工場からの出荷価格となる。だから店舗数に対する売上高が少なく見えるのだが、当時はアパレルでは世界有数の売上高を誇っていたと言っていいだろう(ファーストリテイリングの1999年度の売上高は1110億円)。
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この頃はザラ、H&M、ユニクロなどのSPAが台頭してきており、ベネトンのフランチャイズ形式の運営は時代遅れになりつつあった。さらに店舗への投資は各フランチャイズに委ねていたことから、SPAのような大型店を作るのが難しいという問題を抱えていた。
そこで、パリやニューヨークなどの大都市の不動産を自社で購入し大型店を開発。運営を地元のフランチャイズに任せる新しい戦略を始めた。東京・表参道店の旗艦店は、そうした世界戦略の一環だったわけだ。
首を絞めた世界旗艦店戦略
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