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将来や夢や欲望を"語れない"のは悪いことなのか ジェーン・スー×桜林直子の「生きるヒント」

東洋経済オンライン / 2024年10月31日 14時0分

これはどういうことかと言うと、「欲しいものがわからない」「したいことなんてない」という人にも、心の奥底に「やりたい」「やりたくない」などの欲望があり、それらをないものとすると、あとから大きな負債になりかねないと思うからです。

大きな負債とは、俗に生きづらさと言われるものです。

ところがサクちゃんと話すなかで、欲望にはもうひとつ手前の段階があることを知りました。

自分に欲望があるということを認め、欲望を持つことを許可する段階。そのステップを踏まないと自分の欲望にたどり着けない人がいることを、私はサクちゃんから教えてもらいました。

びっくりした。そうか、自分で自分に規制をかけているのか。

そういうこと、私も過去にしていたことがあります。「私なんかがこれをやったら恥ずかしい」とかね。

「欲望」をきれいに言うと「夢」になると思います。「将来、モデルになりたいという夢があります」と言ったほうが、「将来、モデルになりたいという欲望があります」と言うより耳心地が良い。これは一般的に「欲は持つと恥ずかしいもの」と思われているからでしょう。

そんなことないのにねえ。

さて、夢があるほうがいいという言説が世の中にはあふれていますが、正直なところ私自身、夢がありません。

でも、それで全然困らない。自分のことを情けないとも思いません。

生きていくうえで欲望がないわけではないのです。将来叶えたい「夢」は特にないというだけ。やりたくないことはすごくハッキリしています。これも欲望のひとつ。でも、たまに「やりたくないこと」を棚卸しして、やってみて「意外と楽しかったな」と発見したり、「やっぱりこれは私がやりたいことではないな」と納得したりしています。楽しいです。

RHYMESTER の「ONCE AGAIN」という曲の中で、宇多丸さんは「夢」というのは別名「呪い」であるとラップしています。

夢は時に自分を縛る呪いにもなりうるという意味だと、私は理解しています。負けている賭け事から降りられなくなってしまうような状態も、そのうちのひとつだと思います。

そもそも、夢がある人のほうが志が高いように見えたり、夢がないというだけで残念な人扱いを受けたりするのって変な話。

だって他人の人生じゃん。

夢に向かって努力をする人は素晴らしいし、邪魔にならない程度に応援したいけれど、そっちのほうの価値が高いとされることに、私はとても懐疑的です。なぜなら、夢トラップ(罠)があるからです。

夢に向かって頑張っています!

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