道長が「娘の出産」に取った"あまりにひどい反応" 天皇に嫁いだ娘たちの出産に道長が抱いた願い
東洋経済オンライン / 2024年11月2日 12時0分
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は娘の出産を巡る道長のエピソードを紹介します。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。
犬宮と呼ばれた敦良親王
1008年、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)は、皇子を産みました。敦成親王(後の後一条天皇)です。
【写真】居貞親王(後の三条天皇)に娘を嫁がせた道長。写真は三条天皇のゆかりの広隆寺
皇子を産んだばかりの彰子ですが、翌1009年には再び皇子を出産しました。敦良親王、後の後朱雀天皇です。
敦良親王は「犬宮」と呼ばれました。「なぜ犬?」と疑問に思う人が多いでしょう。ちなみに皇子名を考えたのは、学者の大江匡衡でした。大江家はこれ以前にも、天皇の命名に関わっていました。そして、匡衡は敦成親王の命名にも関わっています。
敦良親王の出産に関しては、次のような逸話が残されています。
ある時、彰子がいた御帳の中に、犬の子どもが、突然入り込んできました。(いったい、これはどうしたことだ、何か不吉なことが……)と怪しみ、恐れた彰子は、このことを父の道長に伝えます。
心配になった道長は、大江匡衡を呼び寄せ、密かに相談しました。すると匡衡は「それは、とてもめでたいことです」と答えます。
「なぜじゃ」と問う道長に対し、匡衡は「犬の子どもが入ってきたということ、これは皇子が誕生されるという前触れにございます。犬の字は、大の字の下に点を付けたら、太という字になりましょう。しかし、上に付けたら、天という字になる。これを思うに、皇子が誕生することでしょう。その皇子は太子となり、必ず、天子(天皇)となると思われます」と答えたのです。
道長は匡衡の答えに感嘆します。そんなやり取りがあった後、彰子は妊娠しました。そして、敦良親王(後の後朱雀天皇)を出産したのです。
これは、平安時代後期に成立した説話集『江談抄』に描かれた逸話です。度重なる皇子誕生に、道長の心は躍ったに違いありません。
娘の出産に対する衝撃の一言
さて道長の長女・彰子には、妹がいました。妍子です。
妍子は、姉の彰子が産んだ敦成親王をたいそう可愛がっていたそうですが、妍子にも嫁入りの時期が迫っていました。
1010年、妍子は居貞親王(後の三条天皇)のもとに嫁ぎました。すでに藤原済時の娘(藤原娍子)が居貞親王の妃となっており、994年に娍子は敦明親王を産んでいました。
この記事に関連するニュース
-
「光る君へ」道具にされ三后辛辣!道長ついに「望月の歌」ネット反響「イメージ違う?」前日“同じ満月”
スポニチアネックス / 2024年11月17日 20時48分
-
「三条天皇に退位迫る」道長の溢れ出す大きな欲望 人事を巡ってもデッドヒートを繰り広げる
東洋経済オンライン / 2024年11月17日 11時0分
-
妻の倫子、天皇の后・彰子、そして…NHK大河では描かれない藤原道長が死後を託した意外な女性皇族の名前
プレジデントオンライン / 2024年11月17日 9時15分
-
大河『光る君へ』藤原道長や宮廷人が女子の誕生を喜ばなかった非情な理由 識者語る
よろず~ニュース / 2024年11月11日 12時30分
-
道長が嘆き悲しんだ、我が子の「まさかの行動」 人生順風満帆かにみえた道長の人生だったが…
東洋経済オンライン / 2024年11月9日 9時30分
ランキング
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください