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スバル「レガシィ」国内で消滅、36年の歴史に幕 レガシィ アウトバックが2025年3月で販売終了

東洋経済オンライン / 2024年11月4日 8時0分

車体がしっかりしていなければ、たとえサスペンションにダブルウィッシュボーンやマルチリンクを採り入れても、その性能を存分に発揮させることはできないというのが、当時の彼らの思想であった。そして、レガシィのサスペンション形式は、一般的な乗用車と同じストラット式であった。車体が堅牢であれば、ストラット式で十分にストロークを生かせ、走行性能を高められると彼らは説いた。その成果は、ラリーという競技の場で明らかにされた。

SUBARUは、さっそく1990年に世界ラリー選手権(WRC)にレガシィで挑んだ。そして1993年のニュージーランドラリーで初優勝を果たす。その後、レガシィの基本構想をもとにより小型車とした「インプレッサ」での参戦となって、製造者(マニュファクチャラー)タイトルを1995~1997年まで3年連続で獲得する。

レガシィの前、レオーネの時代に、SUBARUは4輪駆動車を車種追加している。これが未舗装路だけでなく舗装路でも4輪駆動車が走りに貢献することを明らかにした世界最初の取り組みで、ドイツのアウディ・クワトロが登場するのはその後である。さらに、レオーネの2代目ではツーリングワゴンの価値を生み出す。ステーションワゴンが、単に荷物を積め、大勢で移動できるという価値だけでなく、後席から後ろの屋根を一段かさ上げし、外観の魅力も増し、独自の商品性を与えたのであった。これがレガシィにも引き継がれる。

そして、レガシィの時代に、アウトバックが登場する。

アイサイト初搭載もレガシィだった

さらにレガシィは、SUBARUを選ぶ理由のひとつとなっている、運転支援のアイサイトを最初に搭載した車種でもあった。当初は、アイサイトと呼ばず、ADA(アクティブ・ドライビング・アシスト)といった。昨今、アメリカのテスラが運転支援に不可欠なセンサーをカメラのみとするとしたが、SUBARUは、ADAの時代からステレオカメラにこだわり、その信頼性の高さに定評がある。人間も、情報の多くを両目に頼っているというのが、その理由だ。

SUBARUを代表してきたレガシィだが、国内の現行車種では4ドアセダンやツーリングワゴンは販売されず、アウトバックのみの取り扱いになった。それも2025年の3月末で終わる。

SUBARUを代表し、象徴する車格と、商品性、そして先進技術を牽引してきたレガシィに転機が訪れたのは、2009年の5代目といえる。これに先立ち、2003年の4代目から、それまでの5ナンバー車という枠を超え、すべて3ナンバー車となっている。

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