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大切な人の喪失「悲しみと後悔」にどう向き合うか 悲しみとうまく「距離をとる」方法は人それぞれ

東洋経済オンライン / 2024年11月13日 15時0分

この女性は、こう自分を責めていました。

「母親をコロナに感染させてはいけないと思って面会を我慢していたけれど、こうなるなら面会制限なんかに従わずに会いに行けばよかった。自宅に連れて帰ってあげればよかった」

亡き人が生きていれば「ごめんね」と伝えることができますが、今となってはそれも叶いません。

だからこそ、後悔や罪悪感に長く苦しみ続けることになるのだと思います。

人によっては、自分を責めていないと、自分だけが生きていることを申し訳なく思ってしまい、生きていることをつらく感じることさえあります。

後悔や罪悪感をなくすことは容易ではないですが、そのような気持ちに対処する方法がないわけではありません。「亡き人にしてあげられたこと」や、「一緒に過ごすことができた時間」を考えてみるといいでしょう。

自分を少し許してあげてもいいかなと思えるようになるかもしれません。

先ほどの夫をがんで亡くされた50代の女性の場合です。彼女はご主人とのこれまでの日々を振り返って、ご主人のために「できたこと」について考えてみました。

「胃に優しい食事を毎日作ってあげることができた」「行きたかった場所に連れて行ってあげることができた」「毎日お見舞いに行ってふたりだけの時間を過ごすことができた」「ふたりの息子を一緒に育てることができた」「幸せな家庭を築くことができた」などと考えていくうちに、ご主人のために、あるいはご主人とともに自分ができたことがたくさんあったことに気づきました。

この女性は、「後悔がなくなったわけではないけれど、一緒にいた時間が幸せだったことにも気がつきました。主人と結婚できてよかった」と話してくれました。

あのときこうすればよかった……と考えがちですが、「できたこと」を考えてみると、違う感情がわいてくることがあります。

延命治療は父を苦しめただけでは…

亡き人と過ごした時間を少し客観的に思い返してみると、後悔ばかりではない、違った側面が見えてくることもあります。

父親を亡くした40代の男性は、次のような話をしてくれました。

「私の決めた延命治療は、父を苦しめただけではないだろうか、とずいぶん悩みました。苦しそうな父の顔ばかりが脳裏に浮かんできて……。延命せずにおだやかに逝かせてあげたほうがよかったのではないかとずっと後悔していました。

ですが、この間、アルバムを整理していたところ、ランドセルを背負った孫と父が病室で一緒に撮った写真が出てきました。延命治療をしていて、苦しかったはずの父ですが、孫に向けられた瞳はとても優しいものでした。その父の笑顔を見て、延命治療も悪くはなかったかな、と初めて思いました」

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