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多浪「上智神学部」受験コスパに固執した彼の改心 商業高校から現役で静岡大に合格したものの…

東洋経済オンライン / 2024年11月17日 7時50分

しかし、彼の「楽して生きるマインド」は大学生活に興味を持てなかったことで崩壊し、これ以降は高校までとはまったく別の人生を歩むことになります。

静岡大学に進学した西村さんは、最初の1週間しか大学に行かず、1つも単位を取らずに1年生の3月に中退し、浪人生活を始める決意をしました。その理由は、「都会のキャンパスライフに憧れたこと」「社会人になってからボロが出る」と思ったことでした。

「当時はキラキラした都会のキャンパスライフに憧れていたのですが、大学の周囲が田舎だったため、想像していた大学生活とギャップがありました。また、寮で下宿をしていたのですが、周囲にいた仲のいいメンバーがみんな偏差値60後半くらいの地元の進学校の出身だったので、彼らに比べて楽な人生を生きてしまったことを気にするようになったのです。

努力せずに生きてきたので、『この先大丈夫かな、社会人になってからいずれボロが出るんじゃないかな……』と思ってしまいました。そこから、自分が真剣に勉強して、どれだけいい大学に行けるかを試してみたいという気持ちが強くなっていきました」

そうした理由から、秋ごろからはもう、中退して再受験する決意を固めていたと語る西村さん。冬に親に中退の意思を告げたとき、「お前は商業高校の出身だから、今から勉強しても静岡大学以上には入れない」と止められたそうですが、都会への憧れと真剣に勉強をしたいという熱意で押し切り、東京で毎日新聞の新聞奨学生をしながら、新聞奨学生が通う予備校・毎日セミナーに通い、受験勉強を始めました。

「今思えば、若かったので、リスクをあまり考えてなかったですね」

今、当時の自分の決断を改めてこう振り返った西村さん。こうして、20歳になる年齢で、西村さんの初めての浪人生活が始まります。

自分を追い込んだ過酷な浪人生活も失敗

朝早く起きて朝刊を配ってから予備校に通い、夕刊の時間帯になるとまた新聞を配りに行って、予備校に戻って勉強をする生活は、あまりの過酷さに「30人いた予備校生が最後は6人しか残らなかった」そうです。

この環境で受験勉強を続けた西村さんは、最初のほうは模試を受けてもどの科目も偏差値40以下だったそうですが、最終的には偏差値50を超えるようになり、立命館大学でB判定を取ることができました。

しかし、立命館大学や関西大学、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の各大学を受けるも、結局4年制大学にはどこも受からずに全落ちしてしまいます。

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