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平野啓一郎、「1つの死刑」で痛感した人生の偶然性 「異世界転生もの」流行の裏にある現代人の感覚

東洋経済オンライン / 2024年11月24日 8時0分

当時、あの出来事は社会的に大きなショックをもたらしたし、僕も考えさせられることが多かった。その割には、加藤の死刑が執行されたという報道に対して世間がシラッとしていたというか、ほとんど話題にならなかったように思いますが。

彼は逮捕後、『解』『解+』(いずれも批評社刊)という2冊の本を書いています。僕も実際に読んで、それが非常に興味深かった。自分のことをかなり論理的に分析していると感じました。

こんなにものを考えられる人だったら、それこそ何かのきっかけがあったらこうならずに済んだのではないか……と考えさせられましたし、それが今回の短編集にもつながっています。

――SNSなどを通じて他人の人生がより「見える化」された現代は、かつてより人々が「たられば」に翻弄されやすくなったように感じます。

政治も経済もテクノロジー進化も、社会が本当に混沌としていて、「未来がどうなるかわからない」という感覚を非常に多くの人が持っているように思います。「もし自分の人生がこうじゃなかったなら……」という想像力を、すごく刺激されやすい時代なのではないかと。

アニメやライトノベルなんかで「異世界転生もの」がはやっている背景にも、そういった事情があるかもしれません。「自分の人生がどうにでも分岐しうる」という感覚が、現代の多くの人の中にあると思います。

もし違う形のデビューだったとしたら

――平野さん自身にも、人生の「たられば」がありますか?

若いとまだ生きてきた時間が短いから、「あのときああだったら……」と考えることもあまりないかもしれません。ただ、長く生きるほどに「たられば」が増えていくように感じます。

僕は小説家として生きてきましたが、20代のはじめに新潮社に原稿を送って、それが認められて、芥川賞も取って、すごく幸運なデビューでした。もしそうじゃなかったら?というのはすごく考えます。今も何か別の仕事をする傍ら、小説を書き続けていたかもしれないなと。

環境が人をつくるところがあると思っています。今の自分の能力が発展してきたのは、こういうふうにデビューして、こういう環境の中で書いてきたからだ、という感覚です。

もし違った形のデビューだったら、その後に書いていくものも違っていたんじゃないかと思います。

――環境との相互関係の中で、自分というものがつくられていくと。

なので逆にいうと、今自分がいる環境にすごくストレスが多い場合は、そこから離れることは1つ、大事な決断なのだろうと思います。

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