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「武蔵から2浪東北大」浪人後悔した彼が叶えた夢 高校生活は充実していたものの成績は低迷

東洋経済オンライン / 2024年11月24日 7時40分

「私は人生の節目ではちゃめちゃな決断をしてしまう人間なんです。でも、この失敗で政治の内側に入るのではなく、分析をするのがいちばん向いているんだと気づくことができました。

2年の遅れまでなら一般的な企業に就職できると言われていたバブルの時代でも、2浪1留で『プラス3』になってしまうので厳しいと思い、研究者の道に進む決意を固めました」

恩師との運命の出会い

この3年の遅れが、自身のその後の研究者としてのキャリアを切り開いてくれたそうです。そのきっかけが、現代政治学の権威、大嶽(おおたけ)秀夫先生との偶然の出会いでした。

「東北大の大学院に進もうと思い、現代政治学の先生を探したところ、大嶽先生がいらっしゃいました。たくさん本を出されている方だし、先生自身がちょうどドイツへの留学から帰ってきたばかりだったので、いいタイミングだと思いました。

3年生から大嶽先生のゼミに入って、4年生のときに大学院の研究室に入る了承をいただいた後、院試の一般受験に合格して先生の門下で学ぶことになりました。あとでわかったのですが、学生が『大学院で先生の研究室に進みたい』と言っても、先生が断っていた人のほうが多かったみたいです」

大学院の2年生になる前に、大嶽先生が京都大学に異動されたことから「東北大での最後の弟子だった」と語る宗前さん。弟子に対して強要せず、自由に研究させてもらったことが、宗前さんの現在につながっています。

駆け出しの学者だったときに、師匠が大嶽先生だったことを伝えたら、そのたびに相手の見る目が変わったほどすごい研究者だったことも後々気づいたそうです。

宗前さんは東北大学の博士後期課程に進学した後、アメリカ・カリフォルニア大学アーバイン校へ留学や、ふくしま自治研修センター嘱託勤務を経て単位取得満期退学。琉球大学法文学部(政治国際関係論専攻)准教授、大阪薬科大学(総合科学系)の教授を経て、着々と政治学・行政学・医療制度の研究者としてのキャリアを築いていきました。

その後、関西学院大学総合政策学部に准教授として赴任し、2021年からは同大で教授として教鞭を執っています。そして東北大学で論文博士を取得し、2020年3月には、『日本医療の近代史――制度形成の歴史分析――』(ミネルヴァ書房)を発表しました。

最短距離ではなく、遠回りする必要があった

「私は2年の浪人と1年の仮面浪人をしても東大・京大には行けませんでしたが、とことん(浪人で勉強を)やってみて、成果が出なかったのが答えなんだ、進んだ先が正解なんだと受け入れて頑張ろうと思えるようになったのが、今の道につながっているのだと思います。

現役で進学していたら研究者になれなかったかもしれませんし、当時ドイツにいた大嶽先生の弟子にもなれませんでした。最短距離で行く人生のほうが無駄はないですが、自分にとっては2年・3年遅れる必要があったんだろうなと思います」

浪人を推奨はせず、現役で進んだ大学で学びのよさに気づくことができればいいと考えている宗前さん。それでも、自身の人生にとっては、結果的ではあれ、浪人の経験が確実に生きているのだと思いました。

宗前さんの浪人生活の教訓:納得できない結果でも、成果が出なかったのが答えだと受け止める

濱井 正吾:教育系ライター

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