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「進歩的な君主」がとてつもなく残虐にもなった訳 制度によって人は善人にも悪人にもなり得る

東洋経済オンライン / 2024年11月25日 11時0分

この発明が、「自転車ブーム」を巻き起こした。1890年にアメリカで生産された自転車は4万台だった。だが、6年後には、その数は120万台に達した。突如、誰もがゴムを欲しがった。

ヨーロッパ人は、富が地面から芽を出すところを夢見ながら、植民地中にゴムの木を植えた。だが、ゴムの木は育つのに時間がかかる。レオポルドは、思いがけない幸運のおかげで自分が文字どおり金(かね)の生(な)る木を所有していることに気づいた。

彼のコンゴの植民地に自生していたゴムの木を利用すれば、ただちに世界の需要を満たせる。あとは、労働者を見つけてそのネバネバした金を採集させ、ヨーロッパに送らせるだけでよかった。

植民地で行われた残虐行為

ゴムがベルギーなどに運ばれたとき、イギリスのE・D・モレルという18歳の運送事務員が、ゴムの船荷について奇妙なことに気づいた。ゴムを買うためのお金が、まったく送り返されていなかったのだ。

その代わり、アフリカに向かう蒸気船の貨物室は、銃と手枷(てかせ)――近代世界からはおおむね姿を消した、拘束用の鎖――でいっぱいだった。モレルは、レオポルドの秘密を発見したのだった。

レオポルドの個人所有の植民地で行われた残虐行為は、賞を獲得したアダム・ホックシールドの『レオポルド王の亡霊(King Leopold’s Ghost)』に、二度と忘れられないかたちで記録されている。

コンゴ自由国でのレオポルド国王の野蛮な行為の大半は、「公安軍」と呼ばれるベルギー人兵士と強欲な傭兵の寄せ集めの武装集団によって行われた。

彼らは、地元の村人たちを強制してゴムを採取させた。それは、耐え難い痛みを伴う作業だった。ゴムの木の乳液が皮膚の広い範囲に付着し、それが徐々に固まってしまうので、剝ぎ取らなければならなかった。

抵抗する者は誰もが厳しく罰せられた。レオポルドの武装兵士は、捕まえられる女性はすべて捕まえて人質にした。村の男性たちは、要求されただけの量のゴムを村長がベルギー人に差し出さなければ返さない、と言われた。男性たちが従わないと、女性たちが殺されるのだった。

男性たちが愛する者たちを救うためにジャングルの中に入っていくと、公安軍の兵士たちは、特に魅力的と思う女性たちをレイプした。割り当てられた量をようやく採取しおえると、女性たちは「1人当たりヤギ2頭」で村人たちに売り戻された。

もし村人たちが抵抗を続けると、村の大人も子どもも全員虐殺された。近隣の村への見せしめだった。ベルギーの役人たちは、兵士が命令を実行したことを確認するために証拠を求めた。それぞれの死体の右手を持ち帰るというのが、証明の標準的な方法だった。

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