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94歳「伝説の大道芸人」命を削って踊り続ける理由 身体が思うように動かなくても、観客は満員

東洋経済オンライン / 2024年11月30日 9時0分

収入はもっぱら投げ銭で、多いときは一回の公演で78万円も集まったという。

拠点のひとつである渋谷・ハチ公前で芸を披露したときは、制止しようと駆け付けた警察官に対し、観客から「帰れ!」とコールが起こった。おひねりの一部を請求しようとするヤクザを、露天商の老婆が一喝するなど、根強いファンが彼を支えてきたのだった。

母は最期まで公演を見に来ることはなかった

55年の芸能人生を詳しく書くと、膨大な文字数になってしまうため、簡略化して紹介させてもらった。順風満帆な芸人人生に思えるかもしれないが、決してそうではない。

まず公演はほぼ無許可でしていたため、無事に行える保障はない。できたとしても、観客や投げ銭がどれだけ集まるかはわからない。特にネットがなかった時代は、いつ・どこで公演があるのか十分な周知ができず、神出鬼没にならざるをえなかった。

ギリヤークさんの母親も、路上で芸をしていることを知ると「もう少しちゃんとしたところはないの?」と言い、活動を応援しつつも、最期まで公演を見に来ることはなかったという。

かつて目指していた映画俳優が夜空で輝く星なら、大道芸人は地べたに咲く小さな花かもしれない。けれど、ギリヤークさんはこの職業に生涯を捧げることを誓い、芸人人生を突き進んできたのだった。

2024年10月、筆者は都内のとある団地の一室を訪ねた。表札には「ギリヤーク尼ヶ崎」とある。2DKの部屋に、ギリヤークさんは弟の光春さん(84歳)と2人で暮らしているのだ。

午後1時、パジャマ姿のギリヤークさんはベッドで眠っていた。部屋にはリハビリ用のウォーキングマシンがあり、取り上げられた新聞記事の切り抜きがたくさん貼られている。

光春さんによると、入浴などの生活介助はホームヘルパーにしてもらっているが、それ以外は何でもひとりでできるという。好きな時間に寝て、好きな時間に起きる。光春さんが作り置きした料理を、好きなタイミングで食べる。「牛乳も1日に4リットルくらい飲むんですよ」と光春さんは笑う。

「慣れ」も「新鮮さ」も両方ないとダメ

そう話している間に、ギリヤークさんが目を覚ました。前月に故郷の函館と札幌で公演をしたばかりで、1週間後には新宿での公演も控えている。話を聞いてみた。

――函館と札幌の公演はいかがでしたか?

面白かった。(自分が映ったニュース番組を)テレビで見て、ここでやったのか、って思ったんだよね。それくらい夢中でした。

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