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「紫式部の日記」に記された"明らかに異質な箇所" 突如手紙文体に、誰かに向けて書かれたもの?

東洋経済オンライン / 2024年12月1日 7時40分

この「パート1」では、寛弘5(1008)年秋から寛弘6(1009)年1月3日までの詳細が記録されている。一条天皇にとっては第2皇子で、彰子にとっては第1子にあたる敦成親王の誕生記録だ。それに加えて、生後3日目、生後5日目、生後7日目、生後9日目で行われる「産養(うぶやしない)」など内裏での諸行事における、貴族や女房たちの様子なども書き残されている。

「パート1」と同じようなスタイルで記載されているのが最後の「パート4」で、寛弘7(1010)年1月1日から15日までのことが書かれている。一条天皇にとっては第3皇子で、彰子にとっては第2子にあたる敦良親王の誕生記録である。

道長からすれば、彰子のもとに一条天皇との皇子が立て続けに生まれて、絶好調の頃だ。この2人の孫は道長の後押しによって、敦成親王は第68代・後一条天皇、敦良親王は第69代・後朱雀天皇と、いずれも天皇に即位することになる。

では「パート1」と「パート4」の間にある「パート2」と「パート3」には、どんなことが書かれているのか。

「パート3」では、年月不明の3つの逸話が記載されている。紫式部が道長と『源氏物語』に関わる和歌贈答を行ったことも「パート3」で紹介された逸話となる。

残るのが「パート2」だが、突如として手紙の文体となり、誰かに宛てて書いているようだ。式部の出家への迷いもそこでは綴られている。

「このついでに女房たちの容貌についてお話ししてお聞かせしたら、それはおしゃべりが過ぎますでしょうか」

(このついでに、人の容貌を語りきこえさせば、物言ひさがなくやはんべるべき)

「パート2」はそんな呼びかけから始まり、式部がおもむろに女房についてあれこれと語り始める。

「宰相の君」については「ふっくらとした整った容姿で賢そうな雰囲気を漂わせている」(ふくらかに、いとやうだいこまめかしう、かどかどしき容貌したる人)とし、一方の「小少将の君」は上品で優雅な様子で「春二月の垂れ柳のような風情」(二月ばかりのしだり柳のさましたり)と、式部らしい言い回しで描写している。

こぎれいですらりとした「宮の内侍」については、飾らない性格で気立てが良かったらしい。「お手本にしたい人柄だ」(人の例にしつべき人がらなり)とまで言っている。

式部は、それぞれの性格について「ひどくまずい人はいない」(いと悪ろきもなし)とする一方で、「才覚も教養も風情も仕事の能力もすべて兼ねそろえている人はいない」(すぐれてをかしう、心おもく、かどゆゑも、よしも、後ろやすさも、みな具することはかたし)ともしている。

清少納言の悪口も記されていた

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